僧 これ、これ、夜叉王どの。上様は御自身も仰せらるるごとく、至って御性急でおわします。三島の社の放し鰻を見るように、ぬらりくらりと取止めのないことばかり申し上げていたら、御疳癖がいよいよ募ろうほどに、こなたも職人冥利、いつのころまでと日を限って、しかと御返事を申すがよかろうぞ。
夜叉王 じゃと言うて、出来ぬものはのう。
僧 なんの、こなたの腕で出来ぬことがあろう。面作師も多くあるなかで、伊豆の夜叉王といえば、京鎌倉までも聞えた者じゃに……。
夜叉王 さあ、それゆえに出来ぬと言うのじゃ。わしも伊豆の夜叉王と言えば、人にも少しは知られたもの。たといお咎め受きょうとも、己が心に染まぬ細工を、世に残すのはいかにも無念じゃ。
頼家 なに、無念じゃと……。さらばいかなる祟りを受きょうとも、早急には出来ぬというか。
夜叉王 恐れながら早急には……。
頼家 むむ、おのれ覚悟せい。
(癇癖募りし頼家は、五郎のささげたる太刀を引っ取って、あわや抜かんとす。奥より桂、走り出づ。)
かつら まあ、まあ、お待ちくださりませ。
頼家 ええ、退け、のけ。
かつら まずお鎮まりくださりませ。面はただ今献上いたしまする。のう、父様。
(夜叉王は黙して答えず。)
五郎 なに、面はすでに出来しておるか。
頼家 ええ、おのれ。前後不揃いのことを申し立てて、予をあざむこうでな。
かつら いえ、いえ、嘘いつわりではござりませぬ。面はたしかに出来しておりまする。これ、父様。もうこの上は是非がござんすまい。
かえで ほんにそうじゃ。ゆうべようやく出来したというあの面を、いっそ献上なされては……。
僧 それがよい、それがよい。こなたも凡夫じゃ。名も惜しかろうが、命も惜しかろう。出来した面があるならば、早う上様にさしあげて、お慈悲をねがうが上分別じゃぞ。
夜叉王 命が惜しいか、名が惜しいか。こなた衆の知ったことではない。黙っておいやれ。
僧 さりとて、これが見ていらりょうか。さあ、娘御。その面を持って来て、ともかくも御覧に入れたがよいぞ。早う、早う。
かえで あい、あい。
(かえでは細工場へ走り入りて、木彫の仮面を入れたる箱を持ち出づ。桂はうけ取りて頼家の前にささぐ。頼家は無言にて桂の顔をうちまもり、心少しく解けたる体なり。)
かつら いつわりならぬ証拠、これ御覧くださりませ。
(頼家は仮面を取りて打ちながめ、思わず感嘆の声をあげる。)
頼家 おお、見事じゃ。よう打ったぞ。
五郎 上様おん顔に生写しじゃ。
頼家 むむ。(飽かず打ち戍る)
僧 さればこそ言わぬことか。それほどの物が出来していながら、とこう渋っておられたは、夜叉王どのも気の知れぬ男じゃ。ははははは。
夜叉王 (形をあらためる)何分にもわが心にかなわぬ細工、人には見せじと存じましたが、こう相成っては致し方もござりませぬ。方々にはその面をなんと御覧なされまする。
頼家 さすがは夜叉王、あっぱれの者じゃ。頼家も満足したぞ。
夜叉王 あっぱれとの御賞美ははばかりながらおめがね違い、それは夜叉王が一生の不出来。よう御覧じませ。面は死んでおりまする。
五郎 面が死んでおるとは……。
夜叉王 年ごろあまた打ったる面は、生けるがごとしと人も言い、われも許しておりましたが、不思議やこのたびの面に限って、幾たび打ち直しても生きたる色なく、たましいもなき死人の相……。それは世にある人の面ではござりませぬ。死人の面でござりまする。
五郎 そちはさように申しても、われらの眼にはやはり生きたる人の面……。死人の相とは相見えぬがのう。
夜叉王 いや、いや、どう見直しても生ある人ではござりませぬ。しかも眼に恨みを宿し、何者をか呪うがごとき、怨霊怪異なんどのたぐい……。
僧 あ、これ、これ、そのような不吉のことは申さぬものじゃ。御意にかなえばそれで重畳、ありがたくお礼を申されい。
頼家 むむ。とにもかくにもこの面は頼家の意にかのうた。持ち帰るぞ。
夜叉王 強って御所望とござりますれば……。
頼家 おお、所望じゃ。それ。
(頼家は頤にて示せば、かつら心得て仮面を箱に納め、すこしく媚を含みて頼家にささぐ。頼家はさらにその顔をじっと視る。)
頼家 いや、なおかさねて主人に所望がある。この娘を予が手もとに召し仕いとう存ずるが、奉公さする心はないか。
夜叉王 ありがたい御意にござりまするが、これは本人の心まかせ、親の口から御返事は申し上げられませぬ。
(桂は臆せず、すすみ出づ。)
かつら 父様。どうぞわたしに御奉公を……。
頼家 うい奴じゃ。奉公をのぞむと申すか。
かつら はい。
頼家 さらばこれよりその面をささげて、頼家の供してまいれ。
かつら かしこまりました。
(頼家は起つ。五郎も起つ。桂もつづいて起つ。楓は姉の袂をひかえて、心もとなげに囁く。)
かえで 姉さま。おまえは御奉公に……。
かつら おまえは先ほど、夢のような望みと笑うたが、夢のような望みが今かのうた。
(かつらは誇りがに見かえりて、庭に降り立つ。)
僧 やれ、やれ、これで愚僧もまず安堵いたした。夜叉王どの、あすまた逢いましょうぞ。
(頼家は行きかかりて物につまずく。桂は走り寄りてその手を取る。)
頼家 おお、いつの間にか暗うなった。
(僧はすすみ出でて、桂に燈籠を渡す。桂は仮面の箱を僧にわたし、われは片手に燈籠を持ち、片手に頼家をひきて出づ。夜叉王はじっと思案の体なり。)
かえで 父さま、お見送りを……。
(夜叉王は初めて心づきたるごとく、娘とともに門口に送り出づ。)
五郎 そちへの御褒美は、あらためて沙汰するぞ。
(頼家らは相前後して出でゆく。夜叉王は起ち上りて、しばらく黙然としていたりしが、やがてつかつかと縁にあがり、細工場より槌を持ち来たりて、壁にかけたるいろいろの仮面を取り下し、あわや打ち砕かんとす。楓はおどろきて取り縋る。)
かえで ああ、これ、なんとなさる。おまえは物に狂われたか。
夜叉王 せっぱ詰まりて是非におよばず、拙き細工を献上したは、悔んでも返らぬわが不運。あのような面が将軍家のおん手に渡りて、これぞ伊豆の住人夜叉王が作と宝物帳にも記されて、百千年の後までも笑いをのこさば、一生の名折れ、末代の恥辱、所詮夜叉王の名は廃った。職人もきょう限り、再び槌は持つまいぞ。
かえで さりとは短気でござりましょう。いかなる名人上手でも細工の出来不出来は時の運。一生のうちに一度でもあっぱれ名作が出来ようならば、それがすなわち名人ではござりませぬか。
夜叉王 むむ。
かえで 拙い細工を世に出したをそれほど無念と思し召さば、これからいよいよ精出して、世をも人をもおどろかすほどの立派な面を作り出し、恥を雪いでくださりませ。
(かえでは縋りて泣く。夜叉王は答えず、思案の眼を瞑じている。日暮れて笛の声遠くきこゆ。)
第二場
おなじく桂川のほとり、虎渓橋の袂。川辺には柳幾本たちて、芒と芦とみだれ生いたり。橋を隔てて修禅寺の山門みゆ。同じ日の宵。
(下田五郎は頼家の太刀を持ち、僧は仮面の箱をかかえて出づ。)
五郎 上様は桂どのと、川辺づたいにそぞろ歩き遊ばされ、お供のわれわれは一足先へまいれとの御意であったが、修禅寺の御座所ももはや眼のまえじゃ。この橋の袂にたたずみて、お帰りを暫時相待とうか。
僧 いや、いや、それはよろしゅうござるまい。桂殿という嫋女をお見出しあって、浮れあるきに余念もおわさぬところへ、われわれのごとき邪魔外道が附き纏うては、かえって御機嫌を損ずるでござろうぞ。
五郎 なにさまのう。
(とは言いながら、五郎はなお不安の体にてたたずむ。)
僧 ことに愚僧はお風呂の役、早う戻って支度をせねばなるまい。
五郎 お風呂とておのずと沸いて出づる湯じゃ。支度を急ぐこともあるまいに……。まずお待ちゃれ。
僧 はて、お身にも似合わぬ不粋をいうぞ。若き男女がむつまじゅう語ろうているところに、法師や武士は禁物じゃよ。ははははは。さあ、ござれ、ござれ。
(無理に袖をひく。五郎は心ならずも曳かるるままに、打ち連れて橋を渡りゆく。月出づ。桂は燈籠を持ち、頼家の手をひきて出づ。)
頼家 おお、月が出た。河原づたいに夜ゆけば、芒にまじる芦の根に、水の声、虫の声、山家の秋はまたひとしおの風情じゃのう。
かつら 馴れてはさほどにもおぼえませぬが、鎌倉山の星月夜とは事変りて、伊豆の山家の秋の夜は、さぞお寂しゅうござりましょう。
(頼家はありあう石に腰打ちかけ、桂は燈籠を持ちたるまま、橋の欄に凭りて立つ。月明らかにして虫の声きこゆ。)
頼家 鎌倉は天下の覇府、大小名の武家小路、甍をならべて綺羅を競えど、それはうわべの栄えにて、うらはおそろしき罪の巷、悪魔の巣ぞ。人間の住むべきところでない。鎌倉などへは夢も通わぬ。(月を仰ぎて言う)
かつら 鎌倉山に時めいておわしなば、日本一の将軍家、山家そだちのわれわれは下司にもお使いなされまいに、御果報拙いがわたくしの果報よ。忘れもせぬこの三月、窟詣での下向路、桂谷の川上で、はじめて御目見得をいたしました。
頼家 おお、その時そちの名を問えば、川の名とおなじ桂と言うたな。
かつら まだそればかりではござりませぬ。この窟のみなかみには、二本の桂の立木ありて、その根よりおのずから清水を噴き、末は修禅寺にながれて入れば、川の名を桂とよび、またその樹を女夫の桂と昔よりよび伝えておりますると、お答え申し上げましたれば、おまえ様はなんと仰せられました。
頼家 非情の木にも女夫はある。人にも女夫はありそうな……と、つい戯れに申したのう。
かつら お戯れかは存じませぬが、そのお詞が冥加にあまりて、この願かならずかなうようと、百日のあいだ人にも知らさず、窟へ日参いたせしに、女夫の桂のしるしありて、ゆくえも知れぬ川水も、嬉しき逢瀬にながれ合い、今月今宵おん側近う、召し出されたる身の冥加……。