良平は二十六の年、妻子と一しよに東京へ出て来た。今では或雑誌社の二階に、校正の朱筆を握つてゐる。が、彼はどうかすると、全然何の理由もないのに、その時の彼を思ひ出す事がある。全然何の理由もないのに?――塵労に疲れた彼の前には今でもやはりその時のやうに、薄暗い藪や坂のある路が、細々と一すぢ断続してゐる。……
(大正十一年二月)
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トロツコ
芥川竜之介
良平は二十六の年、妻子と一しよに東京へ出て来た。今では或雑誌社の二階に、校正の朱筆を握つてゐる。が、彼はどうかすると、全然何の理由もないのに、その時の彼を思ひ出す事がある。全然何の理由もないのに?――塵労に疲れた彼の前には今でもやはりその時のやうに、薄暗い藪や坂のある路が、細々と一すぢ断続してゐる。……
(大正十一年二月)