私は棺側に進んで、おしづさんの亡骸に見えた。おしづさんは病症の所爲とかで、宛然石膏細工のやうな顏や手をして居ました。髮だけは生前私が記憶して居るまゝに、黒く長く枕邊に亂れて居た。生前苦勞した影も見えない、おしづさんは笑つたやうな顏をして居ました。
短かい一生であつた。併し其の短かい間におしづさんは可也多くの經驗をした。好い作もした。戀もした。幼い時から憧れて居たといふ家庭も自分で作つて見た。子供の愛もおぼえて死んだ。遺して行く子供の心がゝりと云ふやうなものゝ外に、別段心殘りもあるまい。若し出來得べくんば、生前一二年の間、貧しさと云ふ苦艱から離れて、自分でも心行くだけの作が今一つ二つさして死なしたかつた。が考へて見れば、それは如何でも可いことである。
大正七年二月九日森田草平