彼は、何とも知れず厳かな雰囲気が、到るところ自分の行く先について廻るのを知った。彼の少年らしく野放しな陽気さをのぞむ心持、腕白小僧のように遠慮なく大人とふざけ廻って見たい気持は、皆、そういう彼の力ではどうしようもない何物かで阻まれてしまうのであった。
これ等の、内へ内へと、自分の憧れや、楽しさを追い込まれる寥しさが、全く、不思議な自分の顔立ちの故だとはっきり解ったのは彼が十五の時であった。
その年の秋、例年通り、村長の持ち山で、胡桃もぎの年中行事があった。
フランツもその年から村の若者の仲間入りが出来る筈であった。彼は、白絹の晴着の襯衣をつけ、父親の他処行を直した天鵞絨の半洋袴をはいて、隣りのエルンストと出かけた。山には荷車に載って行った小綺麗な身なりの娘の一隊が待っていた。
村長が振りまわす杖の先で、笑ったり犇めいたりしながら、若者達と娘等は入り混って幾組もに分れた。
娘達は、皆手にリボンで飾ったいろいろの形の籠を下げた。男どもは、先に鈎のついている長い枝下げ棒をかついだ。フランツは、二人の小っぽけな娘と組になった。
二人とも同じように薄赭い少い髪を編み下げにし、狭い胸に黒天鵞絨の胸衣をつけている。始りは少し間がわるかった。けれども、片方の、雀斑のある娘が、
「あら! お前さんのズボンもビロード?」
と叫んでから、すっかり極りわるさがとれた。フランツは、元気よく二人をつれて樹の間に分け入った。
彼方此方から、楽しそうな笑い声や、陽気な合唱、木の枝のざわざわいう音が響いて来た。
組と組とが、ひょっくり樹の陰から出会いでもすると、両方でどっと悦びの声をあげた。娘達は籠を覗き合う。或る者が入れ換る。傍では手を叩いて笑い囃す。ぱたぱた馳ける跫音。その秋の一日は非常に麗かであった。
小さい娘達とフランツも工合よくやって行った。
彼は、どっさり果のついている枝を見つけては、低く低く、いつまででも娘達のもぎきるまで曲げていてやった。娘共はずるく牒し合わせ、わざとのろのろ暇をかける。フランツが手を怠くして枝を離すと、彼が余り早く手離したと云って怒った。怒りながらふきだした。
虫食いの不具な果でもつかむと、彼女達は、
「いやなフランツ! 虫っくい」
と、彼にその果をぶっつけた。
はははは。もっとぶっつけろ、もいだ胡桃をみんなぶっつけろ! フランツは樹に登るぞ。彼は登った。乾いて好い匂いのする葉の間へ本当に隠れた。そして、ばらばら枯れ葉をお下髪の頭にふるい落す。
が、またいつの間にかするする裏板から辷り降り、上ばかり見上げている娘達の鼻先に、ばっさり好い枝を引き下げて、愕かすのだ。
楽しい胡桃山の上に日が移った。
樹々が長い濃い影を地に落す時刻になると、再び村長の杖が皆をかり集めた。
若い者達は、村まで歩いて帰ることになった。荷馬車は村長と胡桃を載せて、謝肉祭の山車のように列の真中に割り込んだ。
フランツはエルンストに会い、暫く彼と一緒に歩いた。
山合いの曲った草道を抜けると、路は、なだらかな傾斜の耕地に出た。遙か遠くに村の教会の塔が見え、頂の十字架が、西日でキラキラ燃えるように光った。それも段々薄れて、やがて見えなくなり、四辺に低く夕暮の靄が這い始めた。もうよく見分けられない列の前方から、足に合せた速い調子で「早起きトッド」の歌が聞え始めた。
フランツは、ふと、連だった小さい娘達のことを思い出した。
彼はエルンストと別れて、歩調を早め、列を前に通りぬけて見た。娘達はいた、やはり二人かたまって、少し大きい娘の傍にくっついて、黙ってせっせと歩いている。
フランツは、顔を見定めてから傍によって行った。
「一緒に歩こう」
声をきき、顔をじっと見、それがフランツだとわかると、どうしたわけか、外側にいた一人が、返事もしないで、すっと大きい娘のむこう側に隠れてしまった。
フランツは、少し寒くなって来た暗がりの中で苦笑いした。暫く経ってから、彼は此方側にいる雀斑の娘に云った。
「お連れになろうよ。その籠をお出し、持って上げるから」
その娘は逃げない代りにまるで無愛想な口調できっぱり、
「いや!」
と断った。そして、益々空いた片手を振りながら、真正面を見て、歩きつづけた。
「いやよ、私触っちゃいやよ。――ガスタブがお前は悪魔だって云ったわよ」
フランツは、小さい娘をじろりと見て、肩を揺った。娘は、止めどがなくなったように、また云った。
「ガスタブばかりじゃあないわ、みんなそう云ったことよ。お前みたいに――うう、時計屋の子の癖にそんな――イエス様みたいな顔をしているなんて、てっきり悪魔に違いないって。だから私」
娘は睨むようにフランツの顔を見た。フランツはおどろいて娘を見た。
「触ってなんか貰いたくないの」
二三歩、小娘は、こわさを我慢してしゃんしゃん歩いた。が、フランツが一寸手を動すと一時に「わーッ」と声をあげ、三人一度に転るように彼の傍から馳け去ってしまった。
フランツは、ぼつり独りで、頭を垂れ、列を脱れて日暮の路を帰った。
その晩、フランツは生れて始めて、しげしげと鏡で自分の顔を見た。娘の云ったのは嘘でなかった。
床に入ったが、寝つくどころではなかった。彼には自分というものが、まるで解らなくなってしまった。
屋根部屋の窓から光が差して、寝台の裾から床に蒼白い月光の湖を作っていた。時々、黒い木の小枝や葉の影がちらちらする。フランツは、寝鎮った夜の裡で、沁々考えると、何ともいえない陰鬱な恐怖に襲われた。自分の前途には何が待っているのだろう。
神は、思いも設けない時計屋の子の自分にこんな特別な相貌を与え、神の子を顕させようとするのか。または、本当に恐ろしい悪魔の力が自分に悪戯したのだろうか。
フランツは、寝床を出て、水のような光りにさらされている木のむき出しの床に跪いて永いこと祈った。寥しい、胸の引きしめられる苦しさが起って、彼は涙を流した。
もう到底平気で父に貰った聖画の基督を見ることは出来なくなった。万聖節の晩、父親が何故あの絵の傍に自分を立たせたか解るとともに、その記憶は、彼に、いくら十字を切っても切りきれない、堪え難い心持を起させるのであった。フランツは、裸足のまま立上って、机の傍へ行った。そして、顔をそむけて、そちらを見ないようにして、少年イエスの画像を暗い壁の上からとりおろした。