「さ、あて着物かえさしてもらお」
隈を自分の顔に描いて遊んでいた里栄が立ち上った。
「あても――」
二人は隅で帯を解き始めたが、いきなり里栄が、端折をおろした裾を引ずって、章子のそばへよって来た。
「なあヘェ、ゲンコツぁん、ええことして遊びまほ。――立ちいおしやす」
「何するのや」
「おとなしゅうして、あてらにまかしといやしたらええにゃわ」
桃龍が云いながら章子をつらまえ、着ている褞袍をむきかけた。
「これ! 怪体なことせんとき」
章子はあわてて胸元を押えた。
「ふあ! 様子してはる――」
大騒ぎで褞袍を脱がせ、それを自分が羽織ったなりで里栄は今まで着ていた長襦袢を先ず着せ、青竹色の着物を着せ、紅塩瀬に金泥で竹を描いた帯まで胸高に締めさせられた章子の様子には、ひろ子も腹をいたくした。
「なんえ、これ! かわいそうな目に会わさんといとくれ、頼むぜ」
「黒人の花嫁! 黒人の花嫁!」
ひろ子が笑い涙を溜めながら囃した。
「こんな嫁はんあらへん――親出や、親出や」
「階下へいて見せたろ」
「――一寸待って、何ぞ頭へ被らなあかへんわ、ええもんがある、ええもんがある」
その上に姉様かぶりを手拭でさせられた章子をしょびいて、どやどや部屋を出た。
「え――、里栄はんのお姉御、ゲン里はんでござい、よろしゅおたの申しますう」
「――何事どす?」
茶の間の襖を開けて顔を出すなりこの始末に女将は、
「へえ」
忽ち、反歯を飛ばしそうに笑い出してしまった。
「いじらしい目に会わはるもんどっせなあ、へ? ようかわいがったげるさかいな、精だしてお稼ぎや」
桃龍が、笑いもせずもう一遍、
「え――、里栄はんの姉妹御ゲン里はんでござい……」
章子は、獅々舞いが子供を嚇すように胸を拳でたたきたたき笑いこけている小婢の方へじりじりよって行った。
「怖わァ」
「阿呆かいな」
階段の中程へ腰をおろし、下の板敷の騒動をひろ子も始めは興にのり、笑い笑い瞰下していた。が、暫くそうやっているうち、ひろ子は、ひとを笑わせ自分も笑っている章子が可哀そうみたいな妙な心持になって来た。紅い帯を胸から巻き、派手な藤色に厚く白で菊を刺繍した半襟をこってり出したところ、章子の浅黒い上気せた顔立ちとぶつかって、醜怪な見ものであった。章子自身それを心得てうわてに笑殺しているのであろうが、ひろ子は皆が寄ってたかって飽きもせずそれをアハアハ笑い倒しているのを見るといい気持がしなかった。ひろ子は先へ自分だけ二階に引かえした。そこここに着物の散らばっている座敷の床柱に靠れ、皆の戻って来るのを待ちつつひろ子はこの気持を章子に話すときを想像し、渋甘い微笑を一人洩した。章子は一応、
「そんなの偏狭さ」
と云うに定っているから。
翌々日は日曜日であった。蒔絵を観るため、彼等は高台寺へ行った。蒔絵のある建物が裏山の中腹にあって、下から登龍の階と云うのを渡って行くようになっていた。遠洲の案とかで、登ってゆくときには龍の白い腹だけ、降りには龍の背を黒く踏んで来るように、階段の角度が工夫してあるのであった。
満足もしない心持で寺を出たが、ぶらぶら歩きながら頭の中へ浮ばせて見ると、登龍の階でも、それを工夫した人間の感興が却って実物を見ているときより理解されるような気がした。やや湿っぽい山気、松林、そこへ龍を描こうとする着想は、常時生気あるものであったに違いない。然し平等院の眺めでさえ、今日では周囲に修正を加えて一旦頭へ入れてからでないと、心に躍り込んで来る美が尠い。
「――京都の文化そのものがそうじゃない? 大ざっぱに云って」
「或る点そう思う、私も」
全然反対の例にとれる龍安寺の石庭のことなど喋りながら、彼等は真葛ケ原をぬけた。芝生の上はかなりの人出で、毛氈の上に重箱を開いて酒を飲んでいる連中が幾組もあった。大人の遊山の様がいかにも京都らしい印象を彼等に与えた。
円山の方へ向って行く。往来が疎らになった彼方から、女が二人来た。ぼんやり互の顔が見分けられる近さになると、大きな声で一方が呼びかけた。
「ゲンコツァン!」
桃龍とも一人、彼等の余りよく知らない女であった。
「――おふれまいか?」
例の癖の睨むような横目で、桃龍は章子の問いに合点した。
「どこへおいきやすの」
「どこって――その辺ぶらぶらしようと思って」
「ふーん。……ほんならあてもいく。なあ、ヘェ」
つれに振向いて耳打ちし先へやって、彼等は章子達と近所の金魚屋へ入った。入口は植木屋のようで、短いだらだら坂を数歩下ると開いた地面がある。支那鉢や普通の木の箱があって、いろんな種類の金魚が泳いでいた。或る箱の葭簀の下では支那らんちゅうの目の醒めるようなのが魁偉な尾鰭を重々しく動かしていた。葭簀を洩れた日光が余り深くない水にさす。異様に白く、或は金焔色に鱗片が燦めき、厚手に装飾的な感じがひろ子に支那の瑪瑙や玉の造花を連想させた。
「なあ、ヘェ、あてらうちにこんなん五匹いるわ」
それは普通の出目金で、真黒なのが、自分の黒さに間誤付いたように間を元気に動き廻っている。揺れる水面にさす青葉のかげ、桃龍の袂の色が、早い夏のようだ。
彼等は円山の奥まで歩き、亭に休んだ。亭のある高みの下を智恩院へゆく道が続いていた。その道を越して、もっと広い眺めが展けている。下の道を時々人が通り、亭の附近は静かであった。花の咲かない躑躅の植込みの前にベンチがあり、彼等が行ったとき、そう若くない夫婦がかけていい心地そうに目前の眺望に向っていた。桃龍は、着物の裾を両方の脚に巻きつけるような工合にして暫く亭にかけていたが、やがて、
「えろ仲よそうにしてはる、ちょっとなぶって来てやろ」
つかつかその人達の方へ行った。火を貰って此方向きにかえって来ながら彼女は嬉しそうに笑って舌を出した。彼等もつり込まれて思わず笑い、莨の火をかりた人の方を見ると、その人々も笑っている。日曜日らしい寛ろいだ情景でひろ子は愉快を感じた。ベンチの男の人の黒い鍔広帽が公園の自由画のようであった。