この銃殺の真似を水兵共は楽みにして待つた。毎日同じやうにしなくてはならぬ操練に飽きてゐるので、こんなことも楽みになるのである。いよ/\その日の朝になつて、猿はブリツジへ連れて行かれた。そして銃を持つた水兵等の自分の方へ向いて来るのを見てゐた。士官一同、乗組水兵の全部が集つてゐる。
ふびんな猿は途方に暮れた目をして一人一人の顔を見た。こんなに大勢の人に見られてゐることは今が始めである。一人の水兵が進み出て白布で猿に目隠しをして遣つた。その時猿の痩せた手足は、ぶる/\震えた。猿は何か恐ろしい事が実行せられるのだと思つた。そしてそれが自分の身の上だと云ふことが分かつた。猿は銃を構へた水兵等の前に直立してゐたが、その態度は如何にも元気が無くて気の毒に見えた。一同の目は猿に注がれてゐる。或る人は稍感動して見てゐる。或る人は又軽く微笑みながら見てゐる。兎に角この場の模様は一種の陰鬱な見ものであつた。
「撃て」と云ふ号令が掛かると、ふびんな猿の全身は電気を掛けられたやうに震えた。此場の危険が分かつたのだらう。布で目を隠されてゐても、銃口を自分に向けられてゐることは知つてゐた。そこでその銃に弾薬が込めてあるかも知れぬと云ふことも、本能的に分かつたかも知れない。この獣も忽然「死」と云ふ暗黒な秘密を感じたかも知れない。
猿は両手を縛られてゐた繩を引きちぎつた。頭の背後で結んである目隠しの布をかなぐり棄てた。そして銃を構へた水兵等や、それから士官等や、物見高い乗客や、判事などの群を見渡した。その目の中には恐怖と憤怒と努力との三つが電光の如くに閃いた。それから大胆に身を跳らして一人の士官の肩の上に飛び上がつて、次に一人の水兵の肩に移つて、非常な速度を以て舷に飛び付いて、高く叫びながら海に飛び込んだ。
「やあ、海へ這入つた。猿が海へ這入つた。」かう云つて大勢が舷へ駆け寄つた。水兵の中には猿を助けに続いて海へ飛び込まうとした者もある。「ボオトを卸せ」と云ふ者もあつた。
この騒は無駄であつた。ふびんな猿は一瞬間水面を泳いで、波と戦つてゐたが、とうとう沈んで見えなくなつた。
M提督はこの話をしてしまつて云つた。「言ふまでもなく、それから先の航海はなんとなく物悲しかつたのですよ。こんな事を言つたら、あなたは笑ふでせうが、猿が溺れてからは、艦内で笑声はしなくなりました。丁度親類か友達の死んだ時のやうに、何物を見るに付けても、ふびんなジヨツコオの事が思ひ出されてならなかつたのです。」