一
私にあなたがしてお置きになる遺言と云ふものも、私のします其れも、権威のあるものでないことは一緒だらうと思ひます。ですからこれは覚書です。子供の面倒を見て下さる方にと思ふのですが、今の処私の生きて居る限りではあなたを対象として書くより仕方がありません。私は前にも一度こんなものを書きました。もうあれから八年になります。花樹と瑞樹の二人が一緒に生れて来る前の私が、身体の苦しさ、心細さの日々に募るばかりの時で、あれを書かなければならなくなつたのだと覚えて居ます。十二月の二十五日の午後から書き初めたのでした。今朝は耶蘇降誕祭の贈物で光と茂の二人を喜ばせて、私等二人も楽しい顔をして居たと確か初めには書いたと思つて居ます。その時のも覚書以上の物ではありませんし、唯今と同じやうにあなたの見て下さるのに骨の折れないやうにと雑記帳へ書くこともしたのでしたが、今よりは余程瞑想的な頭が土台になつて居ました。あなたの次で結婚をおしになる女性に就いていろ/\なことを書いてありました。数人の名を挙て批判を下したり、私の希望を述べたりしたのでした。思へば思ふ程滑稽な瞑想者でした、私は。瞑想は下らないものとして、あなたに僭上を云つたものとして、併しながらあの時にA子さんやH子さんのことをあなたの相手として考へたやうに、今も四人や五人はそんな人のあつた方が、この覚書を読んで下さる時のあなたを目に描いて見る私にも幸福であるやうに思はれます。あの方よりさう云ふ人を今のあなたは持つておいでにならない、あの方は私が見たこともなし、委細しい御様子も聞いたことはありませんけれど、近年になりまして私が死んだ跡のあなたはどうしてもあの方の物にならなければならない、私の子を世話して下さる人はあの方よりないと云ふことがはつきりと、余りにはつきりと私に思はれて来ました。自分の死後の日を見廻す中にも、私は傷ましくてその絵の掛つた方は凝視することが出来ません。私は冷く静かな心になつて居ると思つて居ながら、あなたの苦痛のためにはこれ程の悲しみを感じるのかと自ら呆れます。あの方はあなたの初恋の方で、然も何年か御一緒にお暮しになつた方で、あなたのためにその後の十七八年を今日まで独居しておいでになる方であつても、悲しいことにはあなたよりもつとお年上なのでせう。去年あの方のお国から出ておいでになつた岩城さんが、私等夫婦をもすこし開け広げな間柄であらうとお思ひになつて、あの方のことをいろ/\とお話しになつた時に、年は自分よりも確か二つ三つ上だと云つておいでになりました。岩城さんはあなたよりまた二つ三つ上なのでせう、であつて見ればあの方の髪にはもう白い毛が出来て居るでせう、お目の下の皮膚から紫色になつた血が透いて見えるでせう。真実にあなたはお可哀相です。お可哀相です。あの方のことをあなたが私へお話しになつたことは唯一度しかありません。結婚して一月も経たない時分でした。つまりお互に自己の利益などは考へ合はなかつた時だつたのです。ですからあなたは虚心平気でいらつしつた。昔の恋人のためにしみじみとお話しなさいました。けれどその晩を私は一睡もようしないで明したことを覚えて居ます。
二
あの××県のあなたの兄様の拵へておいでになる女学校を、神童時代の次の十八九のあなたが教えておいでになる時、其処の舎監で、軍人の未亡人の切下げ髪の人とかが、毎夜毎夜提灯を点して遠いあなたの住居を訪ねて来て、あなたを挑まうとしながら表面では学校のあの二人の才媛の何方をあなたは未来の妻にしたいと思ふかなどと云ふ話ばかりをして居たと云ふこと、あなたは第一の才媛は容貌が悪いから厭だ、あの人ならとあの方のことをお云ひになつたのだと云ふこと、京の北山の林の中へ鉄砲を持つて入つて、あの方と添はれない悲しみに死なうとなすつたこと、それから五六年もしてあなたとあの方が一緒になつて、女の赤さんを生んで、そしてその子が死んでからお別れになつた時、あの方は大きい柳行李に充満あつたあなたの文がらをあなたの先生の処へ持つて行つて焼いたと云ふこと、こんなことでした。私が何故別れるやうになつたのでせうと云ひましたら、赤坊の死んだのが悪かつたのだとあなたは云つておいでになりました。年上の女と恋をするのはどんな気持なものかとも私がお尋ねしましたら、綺麗な人だつたせいか自分は年上とも思はなかつたとあなたは訳なしに云つておいででした。よくあなたや私の知つた人が、年上の女を娶つたり、年下の男の処へ行つたりするのを見て何故ああした気になれるだらうとあなたはよく不思議がつておいでになりました。私は何時も昔のあなたがお思ひになつたやうに年と云ふものの目に映つて来ない幸福な気に包まれた人達なのであらうと、さう云ふ人達に対しては思つて居るだけなのです。あの方が何年間かのあなたの心を蓄へた行李を開けて人に見せ、焼き尽しもした程憎みを見せながらそのあなたの弟や妹に、実姉妹のやうな交際を猶続けて来て居ることは三四年前まで私は知りませんでした。あなたは私よりもつと後までお知りにならなかつたかも知れません。知つておいでになつたかも知れない。或はまた西洋においでになる時にも門司でお逢ひになつた妹さんの口から何事もあなたへ伝へられなかつたかも知れません。私はお艶さんとあなたのお留守に一月程一緒に居ました時、お艶さんは私を苦めたいのでもなく、何の気なしによくあの方のことを賞めてお聞かせになりました。烈しいヒステリイの起つてゐる時などは、悲しい程にさうでした。あなたの兄上や嫂の君の信用の最も厚い婦人と云ふのはあの方であるとも聞きました。私が幾人も残して行く子供を育てヽ下さるであらうと依頼心をあの方に起すやうになつたのもお艶さんの言葉が因になつて居るのです。岩城さんが某氏の後添にあの方を世話しやうかと思ふと云つておいでになつた時に、私は滑稽なことを云ふ人であると思つて笑つたのでしたが、あの時はあなたも傍においでになつて、私がさも心から嬉しげに笑つたとはお思ひにならなかつたでせうか、私はあなたのその時の顔をよう見ませんでしたけれど。
私は子供のことばかりを書いて置かうと思つたのでしたが、前に書いた遺書のことから云はないでもいいことを書きました。
三
私が今日またこんな物を書いて置かうと思ひましたのは、花樹と瑞樹が学校へ草紙代や筆代で四十六銭づヽ持つて行かねばならないと云ひまして、前日先生のお云ひになつたことを書いて来た物を持つて来て見せました時、私が居なくてこの子等がこんな物を見せる人がなかつたならと、ふとそんな気がしまして、そんな事などをお頼みする物を書かうと思つたのでした。私は今また遺書ではありませんが、四五年前に死を予想して書いた物のあつたことをふと思ひ出しました。それは私が亡霊になつて家へ来ることにして書いたものでした。
東紅梅町のあの家は書斎も客室も二階にあつたのでした。階下に二室続いてあつた六畳に分れて親子は寝て居ました。亡霊の私が出掛けて行くのは無論夜の夜中なのです。ニコライのドオムに面した方の窓から私は家の中へ入ると云ふのでした。私は何時も源氏の講義をした座敷の壁の前に立つて居ました。青玉のやうな光が私の身体から出て、水の中の物がだんだんと目に見えて来ると云ふ風に其処等がはつきりとして来ると云ふやうなことは、私が書かうと思つたことではありません。私はやつぱり電気灯のスイツチを廻して座敷の真中へ灯を点けました。室の中は隅々まで綺麗になつて居ました。私は昼間階下の暗いのに飽いて二階へ上つて来て居る子供等が、紙片や玩具の欠片一つを落してあつても、
「この穢いのが目に着かんか。」
とお睨み廻しになるあなたの顔が目に見えて身慄ひをすると云ふのです。または自身達の散して置いた塵でなくても、
「この埃が目に見えないのか。」
と子供等は云はれたであらう、梯子上りにだんだん怒りが大きくなつて来るあなたは、終ひには縮緬の着物を着た人形でも、銀の喇叭でも、筆の莢を折るやうにへし折つて縁側から路次へ捨てヽおしまひになるやうなこともあつたに違ひないと思ふと云ふのでした。床の間は何時来て見ても私の生きて居た日に少しの違ひもない品々の並べやうがしてあると云ふのです。唯だ私の詩集が八冊程花瓶の前へ二つに分けて積まれてあるのだけは近頃からのことであると思ふと云ふのです。本の彼方此方には白い紙が栞のやうにして挟んであると云ふのです。本の上には京の茅野さんの手紙が置いてあるのです。私は全集に就いてして呉れた茅野さんの親切な注意をよく読んで見たいと思ひながら遅くなるからと思つてそれは廃めると云ふのです。また私は詩集の中がどんな風に整理されてあるのか見たいとも思ふのですが、自分がどうすることも出来ないのであるから仕方がないと諦めます。併しさう思つてしまへば、子供を見るためにかうして時々この家へ来ると云ふことも同じ無駄なことであらうと苦笑するのです。私の作物には生んだ親である自分にも勝つた愛を掛けて呉れる人達が少くも幾人かはある。私の分身の子には厳しい父親だけよりない、さうであるからなどヽ恥しい気もありながら思ふのです。最初には気が附かなかつたのですが、柳箱の上に私の写真が一枚置いてあるのです。何処かの雑誌社から返しに来たのであらうと思ふと云ふのです。
四
今日はもう書斎へは入つて見ないで置かうと私は思ふのです。死ぬ少し前まで一日のうちの八時間は其処で過して、悲しいことも嬉しいことも其処に居る時の私が最も多く感じた処なんですから、自身の使つて居た机が新刊雑誌の台になつたりして居る変り果てた光景は見たくないからなのです。併し階下へ降りるには其処を通つて梯子口へ出なければならないと思つて、また自分は亡霊であるから梯子段などは要らないと非常に得意な気分になつて、階下へすつと抜けて入るのです。