人間の價値は何かやつて見ないとどの位あるか分らない。君どうぞ勉強してやつてくれ玉へ。
然し世の中には駄目な事が分り切つて居ても眼が見えないのでうん/\やつてる奴がある。そんなものは教へてやつても説諭してやつても分りつこない。矢張自分が斃れる迄やつて念晴らしが出來ないと氣が濟まんものである。勝手に覺りがつく迄やらせるがいゝが、はたから見ると憫然なものだ。是は此間中からたつた一人で感じて居る事だが誰にも云はない。然し文藝上の事でも何でもない。
君にやり玉へといふのは文學の事だ自分で何か作つて見ないとどの位作れるものか自身にもわからない。いくら作つてもそのつぎの自分はどんな風にあらはれるか决して分るものでないから君も千鳥のあとに萬鳥でも億鳥でも大にかき給はん事を希望する。
僕も漾虚集丈でつきた譯でもないから是から又何ぞかく積りで居る。 以上
五月二十六日
夏目金之助
鈴木三重吉君
先日來卒業論文を漸く讀み了つた。中川のが一番えらい。あの人は勉強すると今に大學の教師として僕抔よりも遙かに適任者にない。しかも生意氣な所が毫もない。まことにゆかしい人である。只氣が弱いのが弱點である。
三六三
明治三十九年六月七日 (以下不明) 本郷區駒込千駄木町五十七番地より廣島市猿樂町鈴木三重吉へ
昨夜君の所へ手紙をかいた處今朝君のを受けとつたから書き直す原稿料は遠慮なく御受取可然。小生抔は始めからあてにして原稿をかきます
漾虚集の誤字誤植御親切に御教示を蒙り難有候。實は僕も訂正の積で一度よんで誤の多いので驚ろいた位人が見たら定めし見苦しき事なるべし御蔭にて僕の見落したる分を大分直す事が出來て結構だ。どうか序にあとも教へて下さい
君は九月上京の事と思ふ神經衰弱は全快の事なるべく結構に候然し現下の如き愚なる間違つたる世の中には正しき人でありさへすれば必ず神經衰弱になる事と存候。是から人に逢ふ度に君は神經衰弱かときいて然りと答へたら普通の徳義心ある人間と定める事に致さうと思つてゐる
今の世に神經衰弱に罹らぬ奴は金持ちの魯鈍ものか、無教育の無良心の徒か左らずば、二十世紀の輕薄に滿足するひやうろく玉に候。
もし死ぬならば神經衰弱で死んだら名譽だらうと思ふ。時があつたら神經衰弱論を草して天下の犬どもに犬である事を自覺させてやりたいと思ふ。
大分あつたなつた。拙宅疊替なり。書齋をかへる時は大騷ぎ中川先生と今一人を手傳にたのみたいと思ふ 艸々不一
六月六日
金
三重吉樣
三六六
明治三十九年六月十九日 午後六時―七時 本郷區駒込千駄木町五十七番地より廣島市猿樂町鈴木三重吉へ [はがき]
漾虚集の誤植御報知難有候三版には大分正さねばならぬ。
神經衰弱論をかゝうと思つて居る。僕の結論によると英國人が神經衰弱で第一番に滅亡すると云ふのだが名論だらう。いづれ出たら讀んでくれ玉へ
三八九
明治三十九年八月十二日 午後十一時―十二時 本郷區駒込千駄木町五十七番地より山口縣玖珂郡由宇村三國屋鈴木三重吉へ [はがき]
君は一人で大きな屋敷に居るよし。御大名の樣でよからうと思ふ。僕例の如く多忙長い手紙をかく餘暇なし。君文章をかきたいならどん/\御かきなさい。書いてわるければ其時修養がたりないとか何とかはじめてわかる也。かゝないうちはどんな名作が出來るかわからん。何でもどんどんやるべしと存候
四四〇
明治三十九年十月二十六日 午後三時―四時 本郷區駒込千駄木町五十七番地より本郷區彌生町三番地小林第一支店鈴木三重吉へ [封筒表左側下に「第一信」とあり]
君の夜中にかいた手紙は今朝十一時頃よんだ。寺田も四方太もまあ御推察の通の人物でせう。松根はアレデ可愛らしい男ですよ。さうして貴族種だから上品な所がある。然しアタマは餘りよくない。さうして直むきになる。そこで四方太と逢はない。僕は何とも思はない。あれがハイカラならとくにエラクなつて居る。伯爵ノ伯父や叔母や、三井が親類でさうして三十圓の月給でキユキユしてゐるから妙だ。さうしてあの男は鷹揚である。人のうちへ來て坐り込んで飯時が來て飯を食ふに、恰も正當の事であるかの如き顏をして食ふ。「今日も時刻をハヅシテ御馳走ニナル」とか「どうも難有う御座います」とか云つた事がない。自分のうちで飯をくつた樣にしてゐるからいゝ。
君は森田の事丈は評して來ない。恐らく君に氣に入らんのだらう。あの男は松根と正反對である。一擧一動人の批判を恐れてゐる。僕は可成りあの男を反對にしやう/\と力めてゐる。近頃は漸くの事あれ丈にした。それでもまだあんなである。然るにあゝなる迄には深い源因がある。それで始めて逢つた人からは妙だが、僕からはあれが極めて自然であつて、而も大に可愛さうである。僕が森田をあんなにした責任は勿論ない。然しあれを少しでももつと鷹揚に無邪氣にして幸福にしてやりたいとのみ考へてゐる。
君をしかるつて、夫で澤山だ。そんなにほめる程の事もないが叱られる事もなからう。
僕の教訓なんて、飛んでもない事だ。僕は人の教訓になる樣な行をしては居らん。僕の行爲の三分二は皆方便的な事で他人から見れば氣違的である。それで澤山なのである。現在状態がつゞけば氣遣である。死んでから人が氣違ときめて仕舞つたつて少しも耻とも何とも思はない。現在状態が變化すれば此狂態もやめるかも知れぬ。さうしたら死んでから君子と云はれるかも知れん。つまり一人の人間がどうでもなる所が自分ながら愉快で人には分らないからいゝ。氣違にも、君子にも、學者にも一日のうちに是より以上の變化もして見せる。人が學者といふも、氣違といふも、君子と云ふも、月給さへ渡つてゐればちつとも差支ない。だから僕は僕一人の生活をやつてゐるので人に手本を示してゐるのではない。近頃の僕の所作を眞似られちや大變だ。 草々
十月二十六日
夏目金之助
鈴木三重吉樣
四四一
明治三十九年十月二十六日 (時間不明) 本郷區駒込千駄木町五十七番地より本郷區彌生町三番地小林第一支店鈴木三重吉へ [封筒表中央下に「第二信」とあり]
只一つ君に教訓したき事がある。是は僕から教へてもらつて决して損のない事である。 僕は小供のうちから青年になる迄世の中は結構なものと思つてゐた。旨いものが食へると思つてゐた。綺麗な着物がきられると思つてゐた。詩的に生活が出來てうつくしい細君がもてゝ。うつくしい家庭が〔出〕來ると思つてゐた。
もし出來なければどうかして得たいと思つてゐた。換言すれば是等の反對を出來る丈避け樣としてゐた。然る所世の中に居るうちはどこをどう避けてもそんな所はない。世の中は自己の想像とは全く正反對の現象でうづまつてゐる。
そこで吾人の世に立つ所はキタナイ者でも、不愉快なものでも、イやなものでも一切避けぬ否進んで其内へ飛び込まなければ何にも出來ぬといふ事である。
只きれいにうつくしく暮らす即ち詩人的にくらすといふ事は生活の意義の何分一か知らぬが矢張り極めて僅少な部分かと思ふ。で草枕の樣な主人公ではいけない。あれもいゝが矢張り今の世界に生存して自分のよい所を通さうとするにはどうしてもイブセン流に出なくてはいけない。
此點からいふと單に美的な文字は昔の學者が冷評した如く閑文字に歸着する。俳句趣味は此閑文字の中に逍遙して喜んで居る。然し大なる世の中はかゝる小天地に寐ころんで居る樣では到底動かせない。然も大に動かさゞるべからざる敵が前後左右にある。苟も文學を以て生命とするものならば單に美といふ丈では滿足が出來ない。丁度維新の當士勤王家が困苦をなめた樣な了見にならなくては駄目だらうと思ふ。間違つたら神經衰弱でも氣違いでも入牢でも何でもする了見でなくては文學者になれまいと思ふ。文學者はノンキに、超然と、ウツクシがつて世間と相遠かる樣な小天地ばかりに居ればそれぎりだが大きな世界に出れば只愉快を得る爲めだ抔とは云ふて居られぬ進んで苦痛を求める爲めでなくてはなるまいと思ふ。
君の趣味から云ふとオイラン憂ひ式でつまり。自分のウツクシイと思ふ事ばかりかいて、それで文學者だと澄まして居る樣になりはせぬかと思ふ。現實世界は無論さうはゆかぬ。文學世界も亦さう許りではゆくまい。かの俳句連虚子でも四方太でも此點に於ては丸で別世界の人間である。あんなの許りが文學者ではつまらない。といふて普通の小説家はあの通りである。僕は一面に於て俳諧的文學に出入すると同時に一面に於て死ぬか生きるか、命のやりとりをする樣な維新の志士の如き烈しい精神で文學をやつて見たい。それでないと何だか難をすてゝ易につき劇を厭ふて閑に走る所謂腰拔文學者の樣な氣がしてならん。
破戒にとるべき所はないが只此點に於テ他をぬく事數等であると思ふ。然し破戒ハ未ダシ。三重吉先生破戒以上の作ヲドン/\出シ玉へ 以上
十月二十六日
夏目金之助
鈴木三重吉樣
四六八
明治三十九年十二月八日 午後(以下不明) 本郷區駒込千駄木町五十七番地より本郷區臺町福榮館鈴木三重吉へ
拜啓別紙山彦評森田白楊より送り來り候御參考の爲め入御覽候ホトヽギスを書き始めんと思へど大趣向にて纒らず切ればカタワとなる、時間はあらず困り入候 艸々
十二月八日
夏目金之助
鈴木三重吉樣
四七三
明治三十九年十二月九日 午後三時―四時 本郷區駒込千駄木町五十七番地より本郷區臺町二十七番地鳳明館中川芳太郎、鈴木三重吉へ [はがき]
僕の家主東京轉任で僕は追ひ出されるにつきよき家あれば見當り次第教へて下され