斯ういふことで人民の所有權を認めて居ります。その前は謂はゞ人民の財産といふものは國家が自由にすることの出來るものだといふことでありまして、人民に本當の所有權が有つたか無かつたかといふことが問題であります。尤も歴史的に言へば、この新制度も王安石の時に一遍に生じたのでなくて、だん/\さうなつて來て居るので、その歴史を話せば長いことでありますが、兎に角斯ういふことが王安石の新法ではつきり致しました。さういふことで、人民の私有といふことの明白になつたのが、私は近代の内容のはつきりした事情の一つと思ふ。
これが物質的のことばかりでなくして、精神的のことにも及んで來ました。大體漢から唐までの學問といふものは、先生から傳へられたことを守つて、それをだん/\解釋をして演述して行くことは出來るけれども、傳來した師説に背くことの出來ないのが漢から唐までの學問のやり方でありました。それが唐の中頃から自由研究といふものが起つて來たのでありますが、唐の時にはその芽生えが出來た丈けでありまして、宋の時にその自由研究の精神が盛に起りました。それで昔から在る所の經書などに致しましても、傳來の説を守らぬでもよくて、自分の考で新しい解釋をして少しも差支ないことになりました。それが平民時代の平民精神が學問に入つて來たのであります。貴族時代は家系の傳來を重んずると同樣に、學説も傳來を重んじて居りましたが、それが宋の時代になつて自由研究になつた、さういふのが平民時代の特殊な状態であります。
更に藝術の事に及びますと、此の時代に始めて文人畫といふものが出て來ました。勿論それまでにはだん/″\歴史があるのでありますけれども、世に謂ふ所の南畫の中に文人畫といふやうなものが特に一つの途を開きました。その前からあるといふ説は、支那畫を論ずる人になりますとだん/″\ありますが、私はこの一種の畫の描き方はやはり王安石の時代頃から起つたと思ひます。その文人畫の眞意は、藝術家の專門離れのすることであります。その前は畫は畫工といふ專門家が描くことになつて居りました。所が宋代に新に起つた文人畫といふもので素人が畫を描くといふことが始まつて來た、素人でも藝術に嗜みのある人は畫を描いても差支ないといふことになつて來ました。それが即ち專門家離れをするといふことでありまして、昔唐の初めまでは、畫の題材としては大抵昔から經書とか歴史とかに在る故事來歴に關係したことを畫に描きました。山水は六朝の中頃から發達しましたが、山水でも專門家が特別に研究して描きますから、非常に變つた景色の處を描くことでありましたが、文人畫といふものが、文與可、蘇東坡などによつて起りましてから、唯都から餘り遠くない、誰でも見得る處、誰でも描き得る處の山水を描くことになりました。それが藝術の專門家離れをしたことで、藝術にさういふ精神が入つて來たのであります。
それから工藝でありますが、工藝といふものは餘程考へやうによつては面白いものであります。文化の要素は色々ありませうが、私は文化の程度のはつきりと分るのは其邦の工藝が一番だと思ふ。これを一々茲で説明するには餘り餘裕がありませぬから、私が考へて居る結論だけを茲に述べます。所が工藝に平民精神といふものが宋の時に入つて來て居ると私は考へます。漢から唐までは工藝といふものは朝廷若くは貴族の需用に應ずる爲に作つたものであります、平民は何にもそれに關係のないものであります。それで其の工藝は多くは經濟といふものを無視して、特に朝廷に職人を雇つて置きまして、さうして其の職人に、日本であつたら禄をやるやうに、食ふだけのものをやつて、幾ら金が掛らうが、日數が掛らうが、そんなことに構はずにやらす所の工藝が、漢あたりから出來て居つたのであります。宋の頃になりまして平民相手の大量生産が始まつて來ました。それは織物、陶器に於いては殊に著しい。大量生産といふものが工藝の平民化であります。これは後でもう少し詳しく申しますが、兎に角斯ういふことで、總て宋以後は政治でも、學問でも、藝術でも、工藝でも、汎ゆるものに平民精神が入つて來て居る。是が近代の一番大事な内容と思ひます。
それで私は平民時代即ち近代といふものを宋以後として居ります。唐の末から五代までの間は、前の貴族時代から平民時代に入る所の過渡期でありまして、貴族の崩れる時代でありますから、これは貴族時代でもない、平民時代でもない、その中間の時代で、兎に角宋の時代から平民時代といふのであります。其後元代に蒙古が支那を取つた時分などは、多少古代復活といふやうな姿が見えたことがありますが、それは蒙古人のやうな文化の程度の低いものが來て支配權を有つたものでありますから、支那でいへば古代的精神を支那の近代に復活しようとする傾がありますので、幾らか異つた情態になりましたけれども、元は僅か百年位で終り、それから明清となりますが、此に至つて平民精神が又盛になつて、どうしても昔の貴族時代には戻らなくなる。これが即ち近代といふものゝ要素の一番大事なもので、即ち平民發展といふことが其れだと私は考へて居ります。
三
それから第二は政治の重要性減衰といふことであります。つまり民族なり國なりの生活要素の中に、政治といふものが昔は相當に重要なものでありましたが、それがだん/″\政治が重要であるといふ性質が減衰して來るといふことで、政治が民族生活の主な條件ではなくなるといふことであります。政治のみが民族の生活の最も主な條件だと考へて居つた時代が過ぎ去つて、さうしてそれが平民時代に變つて來るといふことであります。
世の中の人は今日でも政治に熱中するのでありまして、何を措いても政治といふものに就てはやかましいことでありますが、私は政治といふものは人間の生活の中では原始的の下等な事だと思つて居ります。政治といふものは人間にばかりある譯でない。政治の主なるものは支配といふことでありますが、支配といふことを理解して居るのは決して人間ばかりでありませぬ。蜂とか蟻とかいふものは立派な支配權を持つて居り、牛や犬なども大なる支配權を持つて居ります。支配といふものは一體動物生活の、近頃の言葉で申すと延長です。それで人間の生活の中で政治といふものは必ずしも最も重要なものでないのみならず、これは動物時代から續いて來て居るので、たとへば人間に尾骶骨がある位のものと私は考へて居る。昔の貴族は政治の外にいろ/\高尚な生活をして居りました。貴族には學問もあり、藝術もあり、工藝もあり、いろ/\な生活要素を持て居りましたが、平民といふものは支配される一方であつて、さうして君主といふものは謂はゞ支配する一方であつて、共に至つて簡單な生活を營ませられて居つた。それで平民が哀れなものであると同時に、君主も隨分哀れなものであつた。君主はいろ/\な道徳を強ひつけられて、人間なみの欲望を遂げる機會が至つて少い程に強ひつけられまして、さうして纔かに生活をして居つたので、それで君主と人民とは生活が至つて貧弱になつて居たのであります。
それが平民時代になつて來ますと、だん/″\平民の生活の要素が豐富になつて來ます。平民が人に服從する爲の必要でなく、自分の生活の爲に道徳を必要とするやうになり、平民が知識を持つやうになり、平民が趣味を持つやうになつて來ました。斯ういふことは貴族時代には平民には大して必要がなかつたのみならず、又持ち得なかつたものであります。貴族時代には平民は唯税を搾り取らるゝ道具みたやうなものであつたのでありますが、それがだん/″\銘々に貴族が持つて居つたものを持つやうになつて來た。こんなに私が申しましても、極めて簡單な説明では納得しない人があるかも知れぬのみならず、それは歴史をやらない人ばかりでなしに、歴史家の中でも、此の政治の重要性減衰に就ては、特に支那歴史家に隨分反對論があり得るのであります。併し反對する人は政治を人間生活の重要な要素だと考へて居る人でありまして、さういふ人は政治が動物生活の延長だと考へて居らぬのであらうと思ひます。それを分り易く申さうと致しますには、民政の意義が古代と近代とに於て相違して居ることを明らかにせぬばなりませぬ。漢あたりの民政といふものは、純粹に人民を正當に治める爲の仕事で、善き民政官即ち循吏といふものが、史記とか漢書に特別の傳を作られてありますが、さういふ人達がどういふことをして居つたかといふと、丁度大岡裁判などのやうなことをやつた人が多いので、先づ良い裁判をやつた事、それから地方の人民の中で暴威を揮つて威張る者を抑へ付ける事、又人民の租税などを寛大に公平に取る事といふ位なものでありまして、官吏といふものゝ仕事が至つて簡單であります。古い時代の循吏といふやうなものはそれだけの要素があれば宜い。それで地方官などをしてさういふことに秀でた人を、成績が擧つて居るから、宰相にしたら宜からうといふので、中央政府に引張つて來て宰相にすると、さつぱり役に立たなかつた人などがあります。所がその後唐宋以後になりますと、官吏の生活といふものが餘程變つて來ます。單にさういふ名裁判をやつたり、富豪や無頼漢を押へ付けたりするだけのことではいかぬやうになつた。殊に近代になつては、日本でも官海游泳術といふ言葉がありますが、官海游泳をするのにはいろ/\な技巧を要するやうになりまして、生活が大變複雜になつて來ました。それで支那には妙な官海游泳の技巧の教科書がある、宋あたりからそれがあります。それで宋以後の官海游泳といふものが如何に技巧を要するものになつて來たかといふことが分ります。清朝になつて出來たもので、日本の古本屋にいくらでも轉がつて居る福惠全書といふものがあります。日本でも徳川時代にはあゝいふ本に感服しなければならぬ事情があつたと見えて、之を訓讀して出版した人は、態々長崎まで行つて、支那人にいろ/\聞いて假名を附けて出版をして居る。今では殆んど實際上必要がないものでありますが、それを見ますと、官海游泳術の祕訣が鄭寧親切に書いてある。さういふやうに、近代になると官吏生活といふものが大分複雜になつて來ました。