いまの祠は……だけれど、その以前からあったというが、そのあとの邸だよ。もっとも、幾たびも代は替った。
――余りな話と思おうけれど、昔ばかりではないのだよ。現に、小母さんが覚えた、……ここへ一昨年越して来た当座、――夏の、しらしらあけの事だ。――あの土塀の処に人だかりがあって、がやがや騒ぐので行ってみた。若い男が倒れていてな、……川向うの新地帰りで、――小母さんもちょっと見知っている、ちとたりないほどの色男なんだ――それが……医師も駆附けて、身体を検べると、あんぐり開けた、口一杯に、紅絹の糠袋……」
「…………」
「糠袋を頬張って、それが咽喉に詰って、息が塞って死んだのだ。どうやら手が届いて息を吹いたが。……あとで聞くと、月夜にこの小路へ入る、美しいお嬢さんの、湯帰りのあとをつけて、そして、何だよ、無理に、何、あの、何の真似だか知らないが、お嬢さんの舌をな。」
と、小母さんは白い顔して、ぺろりとその真紅な舌。
小僧は太い白蛇に、頭から舐められた。
「その舌だと思ったのが、咽喉へつかえて気絶をしたんだ。……舌だと思ったのが、糠袋。」
とまた、ぺろりと見せた。
「厭だ、小母さん。」
「大丈夫、私がついているんだもの。」
「そうじゃない。……小母さん、僕もね、あすこで、きれいなお嬢さんに本を借りたの。」
「あ。」
と円い膝に、揉み込むばかり手を据えた。
「もう、見たかい。……ええ、高島田で、紫色の衣ものを着た、美しい、気高い……十八九の。……ああ、悪戯をするよ。」
と言った。小母さんは、そのおばけを、魔を、鬼を、――ああ、悪戯をするよ、と独言して、その時はじめて真顔になった。
私は今でも現ながら不思議に思う。昼は見えない。逢魔が時からは朧にもあらずして解る。が、夜の裏木戸は小児心にも遠慮される。……かし本の紙ばかり、三日五日続けて見て立つと、その美しいお嬢さんが、他所から帰ったらしく、背へ来て、手をとって、荒れた寂しい庭を誘って、その祠の扉を開けて、燈明の影に、絵で知った鎧びつのような一具の中から、一冊の草双紙を。……
「――絵解をしてあげますか……(註。草双紙を、幼いものに見せて、母また姉などの、話して聞かせるのを絵解と言った。)――読めますか、仮名ばかり。」
「はい、読めます。」
「いい、お児ね。」
きつね格子に、その半身、やがて、﨟たけた顔が覗いて、見送って消えた。
その草双紙である。一冊は、夢中で我が家の、階子段を、父に見せまいと、駆上る時に、――帰ったかと、声がかかって、ハッと思う、……懐中に、どうしたか失せて見えなくなった。ただ、内へ帰るのを待兼ねて、大通りの露店の灯影に、歩行きながら、ちらちらと見た、絵と、かながきの処は、――ここで小母さんの話した、――後のでない、前の巳巳巳の話であった。
私は今でも、不思議に思う。そして面影も、姿も、川も、たそがれに油を敷いたように目に映る。……
大正…年…月の中旬、大雨の日の午の時頃から、その大川に洪水した。――水が軟に綺麗で、流が優しく、瀬も荒れないというので、――昔の人の心であろう――名の上へ女をつけて呼んだ川には、不思議である。
明治七年七月七日、大雨の降続いたその七日七晩めに、町のもう一つの大河が可恐い洪水した。七の数が累なって、人死も夥多しかった。伝説じみるが事実である。が、その時さえこの川は、常夏の花に紅の口を漱がせ、柳の影は黒髪を解かしたのであったに――
もっとも、話の中の川堤の松並木が、やがて柳になって、町の目貫へ続く処に、木造の大橋があったのを、この年、石に架かえた。工事七分という処で、橋杭が鼻の穴のようになったため水を驚かしたのであろうも知れない。
僥倖に、白昼の出水だったから、男女に死人はない。二階家はそのままで、辛うじて凌いだが、平屋はほとんど濁流の瀬に洗われた。
若い時から、諸所を漂泊った果に、その頃、やっと落着いて、川の裏小路に二階借した小僧の叔母にあたる年寄がある。
水の出盛った二時半頃、裏向の二階の肱掛窓を開けて、立ちもやらず、坐りもあえず、あの峰へ、と山に向って、膝を宙に水を見ると、肱の下なる、廂屋根の屋根板は、鱗のように戦いて、――北国の習慣に、圧にのせた石の数々はわずかに水を出た磧であった。
つい目の前を、ああ、島田髷が流れる……緋鹿子の切が解けて浮いて、トちらりと見たのは、一条の真赤な蛇。手箱ほど部の重った、表紙に彩色絵の草紙を巻いて――鼓の転がるように流れたのが、たちまち、紅の雫を挙げて、その並木の松の、就中、山より高い、二三尺水を出た幹を、ひらひらと昇って、声するばかり、水に咽んだ葉に隠れた。――瞬く間である。――
そこら、屋敷小路の、荒廃離落した低い崩土塀には、おおよそ何百年来、いかばかりの蛇が巣くっていたろう。蝮が多くて、水に浸った軒々では、その害を被ったものが少くない。
高台の職人の屈竟なのが、二人ずれ、翌日、水の引際を、炎天の下に、大川添を見物して、流の末一里有余、海へ出て、暑さに泳いだ豪傑がある。
荒海の磯端で、肩を合わせて一息した時、息苦しいほど蒸暑いのに、颯と風の通る音がして、思わず脊筋も悚然とした。……振返ると、白浜一面、早や乾いた蒸気の裡に、透なく打った細い杭と見るばかり、幾百条とも知れない、おなじような蛇が、おなじような状して、おなじように、揃って一尺ほどずつ、砂の中から鎌首を擡げて、一斉に空を仰いだのであった。その畝る時、歯か、鱗か、コツ、コツ、コツ、カタカタカタと鳴って響いた。――洪水に巻かれて落ちつつ、はじめて柔い地を知って、砂を穿って活きたのであろう。
きゃッ、と云うと、島が真中から裂けたように、二人の身体は、浜へも返さず、浪打際をただ礫のように左右へ飛んで、裸身で逃げた。
大正十五(一九二六)年一月