母ます/\文学狂になり候て、よべも歌の話いろ/\と致し、君の祭見る日の下加茂の橋はつまらずと申し、大井川濃き緋の帯のいくたりの鼓拍子に船は離れぬは、かしこの景色すきなるものから、それはよしと喜びていくたびも口ずさみ候。また松田などや申し候ひけむ、山の人とはきつとおえらき人なるべし、物言ひのてきはきして心の奥にかげなきは、江戸のお生れの人かと申し候ゆゑ、あれは緑雨様や宅のお友達、数学の天才にて、こちらの朝日の角田様も古く知り給ふ方、当節は文学を専門になさる人たちよりも、かやうな学問のちがひし人様の方々に、まことのおえらき人あるなりと申し候へば、いつの世でも大抵はさうと、母たいさう知つたかぶりな顔を致し候。
庭のコスモス咲き出で候はば、私帰るまであまりお摘みなされずにお残し下されたく、軒の朝顔かれ/″\の見ぐるしきも、何卒帰る日まで苅りとらせずにお置きねがひあげ候。
あす天気よろしくば、光に堺の浜みせてやれと母申して寐たまひ候。
(『明星』一九〇四年一一月)