私は九星とか易占とかを信じなかった。凡ては自分の意志であると信じていた。もし本当に超自然の理法があるならば、それに自分の意志を以てうち勝ってみせる、と私は云っていた。
「それであなたはいいでしょうけれど、他の者にはそれだけの強い力が無くて倒れることがあるかも知れませんもの。」そう芳子は云った。長い間種々な不幸のために、勝気な彼女も大分弱々しくなっていた。
「なに家の者は皆僕の意力で保護してみせる。」と私は答えた。
然し私は本当にその力を持っているか?
私はそんなことを考えて眠れなかった。起き上って家の中を歩き廻った。それから私は二階に上って、三畳の方の戸棚を開いた。去年の今月十一日に死んで漸く一週忌が終ったばかりの父の新らしい位牌があった。私はその前に蝋燭と線香とをつけた。そうするのは私のその時の心に如何にも自然だった。堯もよくその前に手を合したことがあった。
仏壇の下に小さな箱があった。私はそれを開いてみた。小さい草履や鬼子母神の像などがはいっていた。
私の家は、故郷の田舎の家は、代々子供が育たなかった。家の後を継いだのは皆養子であった。私の祖父もそうであった。祖父には数人の児があったが、その後を継いだ私の父は、やはり祖父の子ではなかった。事情あって祖母の腹に出来た子だった。それを私の母は心配して居た。そして堯が長く病気で居ることをひどく気にして、かねて信心の鬼子母神様にお詣りをするように私にくれぐれも云って来た。それで芳子は堯をつれて雑司ヶ谷の鬼子母神にお詣りをした。小さな草履を貰って来た。向う二年間鬼子母神の御側に奉仕する児となったのである。毎月一回参詣をしなければならなかった。
私はその小さな草履を見ていると、涙ぐましい感情をそそられた。二階から下りて来てまた蒲団の中にはいった。「今年は本命だから何をしても悪い。ただじっと動かないでいなければならない。」夏に国に帰った時母から云われた言葉が思い出せた。
目に見えない種々な超自然的な悪いことが私のまわりに立ち罩めた。「俺は凡てを征服してみせる。」と私は自分に云った。然し人が云うように、幾重にも重った私の厄を堯がもし荷っているとしたら……。「自分の力で堯を保護してみせる。堯は自分のものだ!」そう云ったが、私の心は妙に慴えていた。余りに突然な病気だった。「初めからいけないという気がした……」と芳子は云ったのだった。
重苦しい気分のうちに、私は一時間ばかりうとうとした。眼を開くとじっとして居れなかった。私はすぐに家を飛び出した。室の鴨居に懸っている堯のちゃんちゃんが私の眼の底に残った。
私は暫く外を歩き廻ってみたかった。然し何時の間にか、私はすぐに病院の前に来てしまった。堯は同じようにじっと寝ていた。
「大丈夫かい。」と私は云った。
「え?」と芳子は顔を上げた。私の問いが、危篤の状態に居る堯に向って為されたのか、または生れようとする腹の児に向って為されたのか、彼女は惑ったのである。
「お前の方は?」
「ええ。」と云って芳子は初めて軽く微笑んだ。
夕方から、堯には人乳十瓦ずつ与えられるようになった。U氏が一番心配している嘔吐は全く無くなかった。
そうしてたとえ十瓦の人乳でも落ち附いてゆけば非常な幸いであった。夕方、食塩水の腸注入をやったが、殆んど吸収せられずに出てしまった。熱も脈搏も呼吸も増してゆくばかりであった。頭にはたえず氷嚢があてられた。額をも水で冷した。然し額の方は時々しか冷せなかった。少し続けてやればすぐにチアノーゼを起しそうだった。否既に軽微なチアノーゼは起していた。夜になると、額を冷しているとすぐに頬のあたりまで冷たくなって、色が変りそうだった。
脈が時々結滞するようになった。カンフルの注射が行われた。十瓦の人乳を飲むのに、長くかかるようになった。それがすむと非常に疲れるらしかった。
夜U氏の回診の時、私は云った。
「脳は大丈夫でしょうか。よくなっても馬鹿になるようなことはないでしょうか。」
「ええ大丈夫です。脳膜炎を起したのではありませんから。」
私は、U氏からじっと見つめられて恥しくなった。もうそんなことを云ってる場合ではなかったのだ。然し……。
初めて入院前にT氏が見舞われた時、芳子が第一に聞いたのもそれだった。どうせ頭が馬鹿になるなら、苦痛なく死なしてやりたいと私達は思っていた。然し今ではその思いも何処へ行ったのか?
「ただ生命が助かれば!」と私は思った。
私と芳子とは、じっと眼を見合った。何とも云わないでじっと互の眼の中を見合った。
けれども、食堂で夕食を食べている時、私達はこんなことを囁いた。
「まずいね。」
「ほんとにどうしてこうまずいんでしょう。ちっとも食べられはしませんわ。」
「勿論安いんだからね。」
「なんにも無くても家でたべた方がよござんすわね。」
「家」という一語が私達をすぐに黙らしてしまった。
夜になって芳子は腹の工合が少し変だと云い出した。すぐ帰るように私は云った。
「まだはっきり分らないから、も少し様子を見てみますわ。」と芳子は云った。
雨が降り出した。雨の音が病院の中を一層しいんとさした。
堯は、嚥下作用も次第に衰えて来るようだった。十瓦の人乳を一度に飲めないで中途で止すようになった。口中にたまった液体を嚥下するのが非常な努力らしかった。私達はどうしていいか分らなかった。何にも与えないでは恢復の見込みはないし、与えることは堯にとって苦痛らしかった。それでも、……やはり人乳や食塩水を時々与えなければならなかった。薬はもう一切やらなかった。
それでも堯の顔には、何等の苦痛の表情もなかった。きまり悪いような微笑みの影さえあった。私はあの顔を思い出した、どうかした調子に芳子の乳首を一寸なめてきまり悪そうに微笑む顔を。堯は最近では、乳房をつきつけてやっても顔を外らして吸おうとはしなかったのである。
夜遅く、私は看護婦の容態表をじっと眺めた。
朝――熱八度二分、脈搏百二十八、呼吸四十四、
午――熱八度四分、脈搏百三十六、呼吸四十二、
夕――熱九度四分、脈搏百三十四、呼吸五十二、
夜――熱九度二分、脈搏百四十、呼吸四十五、
尿二回、便五回、嘔気二回、カンフル注射二回、腸注入一回、人乳五瓦三回、十瓦三回。
私は其処に敷いてある蒲団の上に身を投げ出した。そして何にも考えまいとした。それは卑怯な態度ではなかった。そして私はうとうとした。
ふと眼を開くと、芳子は小さな机にもたれてじっと坐っていた。極度に緊張した表情をしていた。
「いけないのか。」
「ええ、そうらしいわ。」
芳子は便所に行った。
「やはりそうらしいわ。」
「ではすぐに帰るがいいよ。」
「ええ。」そして芳子は室の隅をじっと見つめた。
寝て居た看護婦を私は起した。
看護婦は起きて行って、電話室へはいった。私も後からついて行った。もう一時になっていた。俥屋は中々起きなかった。それでも漸く起き上った。至急俥を二台頼んだ。
芳子は既に軽い陣痛を覚えていた。堯の額に唇をつけた。堯は眠っているらしかった。或は覚めて居たのかも知れない。
私は芳子の腕を取った。寝静まった病院の階段を私達は一段々々と下りた。看護婦が玄関の扉を開いてくれた。私は彼女をすぐに病室の方へ返した。
雨は霽れていた。外は真暗な闇が深く澄み切っていた。玄関に私の腕にもたれて立ちながら、芳子は私の手を緊と握りしめた。
「坊やのことをね、坊やのことをね、お頼みしますよ。」と芳子は云った。
「ああ大丈夫。」
「しっかと手を握ってやっていて下さい、ね。」
私達の心に堯の死の場面がはっきりと映じた。
俥はまだ来なかった。私は外に出てみた。薄暗い寝静まった通りを透して見ると、向うに俥屋の提灯の火が見えた。
「来ましたか。」
「ああ今すぐ。」
芳子は又私の手につかまった。
「坊やのことをね。堯をね。」
私は返事の代りに、彼女を緊と抱いてやった。
すぐに俥屋が来た。「S町まで、」と私は云って芳子を連れ出した。
俥屋の一人は私達の姿をじっと透し見た。
「おや、奥様でございましたか。」
「あ、Yさんですか。」
一人は私達をかねて知ってる俥屋の主人Yであった。彼は、私達の親戚の家や産婆のIさんの家も知っていた。好都合だった。でその主人に産婆の家へ行って貰うことにした。芳子は若い衆の方の俥に乗った。そして黙って私の前に頭を下げた。
私は外に立って、右と左とへ別れて馳せ去ってゆく二台の俥を見送った。それから玄関の扉をしめた。病室に帰ると看護婦に玄関の締りをして来て貰った。
私は一人で堯の枕頭に坐った。それからじっと眼をつぶった。
芳子の方のことは心配はなかった。前からすっかりは仕度調っていた。家にはS子さんと常とが居た。Iさんもいつも私の家から呼びに行くのを待っていてくれた。丁度さし迫った用向も他に無いそうであった。それから、産が予定よりも二十日近くも後れていたが、心配なことはないとIさんは云った。Iさんはしっかりした手腕と頭とを持っていた。また難産の時には、すぐにS病院の院長に来て貰うように前から話がしてあった。
それでも私の心は家の方へ飛んで行った。そして私は頭でじっと堯を見ていた。それが自分乍ら痛々しかった。「なんだこれ位のことに!」と私は云った。そして堯の額に唇をつけた。涙が初めて湧いて来た。涙と共に私は力強くなった。「芳子は自分の半分じゃないか。自分自身の半分のことを心配することはない。」私はそう自ら云った。芳子の悲痛な心と陣痛の苦しみとが、私自身に返って来た。そして私は自分の全部でじっと堯の枕頭に坐っていることが出来た。
私は無理にすすめて看護婦を寝かした。
夜は静かで何の物音もしなかった。時間がぴたりと止ったようであった。じっと眼を瞑っていると、堯の全部が私の前に見えて来た。