是の如きもの我牢獄なり、是の如きもの我恋愛なり、世は我に対して害を加へず、我も世に対して害を加へざるに、我は斯く籠囚の身となれり。我は今無言なり、膝を折りて柱に憑れ、歯を咬み、眼を瞑しつゝあり。知覚我を離れんとす、死の刺は我が後に来りて機を覗へり。「死」は近づけり、然れどもこの時の死は、生よりもたのしきなり。我が生ける間の「明」よりも、今ま死する際の「薄闇」は我に取りてありがたし。暗黒! 暗黒! 我が行くところは関り知らず。死も亦た眠りの一種なるかも、「眠り」ならば夢の一つも見ざる眠りにてあれよ。をさらばなり、をさらばなり。
透谷庵主、透谷橋外の市寓に倦みて、近頃高輪の閑地に新庵を結べり。樹幽に水清く、尤も浄念を養ふに便あり。適ま「女学雑誌」の拡張に際して、主筆氏の許すところとなりて、旧作を訂し紙上に載せんとす。こは其第一なり、もしそれ全篇の佶屈聱牙にして、意義も亦た諒し難きところ多きに至りては、余の文藻に乏しきの罪として、深く責め玉はざらんことを願ふ。たゞ篇中の思想の頑癖に至りては、或は今日の余の思想とは異るところなり、友人諸君の幸にして余が為に甚く憂ひ玉はざらんことを。
(著者附記)
(明治二十六年六月)