何にこの人しかく眼立ちしやといふに、その部屋は行燈部屋に隣れる三畳敷にて、外にはこれに類ふべきものなき麁末なる部屋なりしと。一ツにはまたその人の身装我のみならで、誰の注意をも惹きしなり。先づその一ツを挙げていはば、白紺大名の手織じま。これぞこの人の夏冬なしの平常着にて、しかもまた一張羅なれば。夏はその綿と裏とは無情にも、きつつなれにしつまを剥がれて、行李の底に追ひ遣らるるなれど、われてもあはむ冬を待てば、再び三位一体の、世になり出る春衣ともなりて、年一年をこの人の身に附き纒ふなれば。口さがなき下女どもはこの人のまたの名を大名縞のお客様といひはやしぬ。
これに我も疾くよりその御名は聞き知りしかど、見ればかく御身装のやつやつしきには似たまはで。外の我は顔に親譲りの黄八丈、さては黒奉書の羽織に羽ぶり利かしたまふ人よりも、幾層立ち勝りたまいしお人品のよさ。見るからに何となく床しく覚ゆるさへあるに、若き人に有りがちの、戯れ言などいひたまひたる事はなく。結びがちなる口もとの、どこに愛嬌籠りてや、えもいはれぬ愛らしさは、女子にしても見まほしきに。威ある御眼は男の中なる男ぞといはでもしるきその輝き、あはれいかに幽玄の学理とやらむも、方様のお眼に照らされてはと、頼もしげなる心地もせしが、そもやそも我迷ひの初めにて。それよりは何となくその人の朝夕に気を注くるに、年は廿歳のお若きには似ぬ物堅さ。朝は我が台所のものよりも、先だちて起き出でたまへば、睡き眼を母様に起こされたる下女の、また浅木さんが早起きしてツ、ついぞ祝儀の一ツも呉れた事はないにと小言くが例なるに。夜は二時頃までも寐たまはず、土曜日曜大祭日の宵とても、矢場よ寄席よと浮かるる人々の中に、我のみ部屋に閉ぢ籠りたまひての御勉強。実にも行末の望みある方様やと、いとど心を動かせしに。母様も同じ御心にや、わけてこの人いとしがらせたまひつ、時雨しぐるる神無月、この夜の長きに定めてお気も尽きやうと、ある夜お茶を入れて、自ら持ち行きたまひたるが、やがて我との縁のはしにて。その時母様の計らず方様より、聞き取りたまひし御身の上ばなしに、母様ホと太息吐きたまひて。さても世に珍らしの方様やと、我は月頃思ひつるに、それも理や方様の父御は、世を夙ふしたまひて、今は母御のお手一ツに、方様の仕送りなさるるなりとか、されば学資の来る時もあり来ぬ時もあり、いつまで続くものともしれねば、それゆえの御勉強とは、さても殊勝なるお心掛けや。身につまされて方様の、母御の御苦労が思ひ遣らるる。かうして下宿や渡世はするものの、人様のお金とるばかりが身の能ではなし。あんなお方を助けてこそと、その夜しみじみ我への仰せ。さては母様のお鑒識もと、我はいよいよその人慕わしふなりて。軒端に騒ぐ木枯らしの風にも、方様のお風邪召さずやと、その夜は幾度か寝醒めせしもをかし。
それよりは母様方様の、下宿料滞らせたまふ事ありても。こなたよりいひ出でたまはぬのみか、たまたま方様のこれをと渡したまふ事あるも。私方では大勢のお客様、お一人口位は別に眼にも立ちませぬ。それよりは御入用なる書物でも、お心遣ひなくお求めなされてはと。一方ならずいたはりたまふお志、方様も嬉しとや。果ては母様を叔母様のやうにも思ふなど、重きお口にいひ出でたまふやうになりしを。母様は本意なる事に思していつしか我が聟がねにとのお心も出でけらし。折に触れては、我へそのあらまし事ほのめかしたまひ。成らふ事なら浅木様のやうなお方に、そなたの行末頼みましたし。下宿や風情の我が家の聟にとてはなりたまふまじきも。我はそなたの仕合はせとあらば、手離して上げまするも苦しからじなど、独言ちたまふを聞く我は、頓かに心強うなりて。方様の何と仰せらるるかは知らねど、もしさる事ともならば我が為に、年頃一方ならぬ御苦労したまひし母様の、お力ともなりたまふべければ。かかるお方に身を任すも、孝の一ツと思ひしと、いふは心の表のみ。裏はさらでも憎からず、思へる人をといひたまふ、母様のお詞真ぞ嬉しく。勿体なけれどほんに粋な母様と、朝夕心に拝む数も、これに一ツを増したるは、後の歎きの種子ぞとも、知らぬ昔の悔しさよ。
かかりしほどに、われはひとしおその人の事気にかかりて、ともすれば母様の思したまはむ程をも忘れて。あれ母様浅木様のお袴が、あんまり汚れてみつともない、一ツ拵へてお上げなされてはと、思はず口走りて母様に笑はれたる事もあり。外の客より貰ひ溜めたるものにても、ハンケチ巻紙、その他何にても、男の用に立ちさうなものは、母様にも隠して、幸よりと記し、そとその人の机の辺りに置くを何よりの楽しみに。それといはねど母子して、心を配るその様子を、気早き人達の早くも見てとりてや。我にいやらしき事いひたる覚へある人などは、あて付けがましく、向ふの下宿やへ移りて。我とその人の、あらぬうき名を謡ふもあれば、わざと下宿料滞らせて、我も浅木並にしてほしし、かつは娘を添えものになど、聞くもうたてき事いひはやすを、母様いたく気遣ひたまひて。あるひはそれとなく方様のお心ひき見たまひしに、何がさて一方ならぬ世話になりたまひたる上の事なれば、否みたまはむよしもなくてや。もとより僕も望むところ、ちやうど合ふたり叶ふたりの事ではあれど、修業中の妻帯は何より禁物。自然勉強の妨げともなるべければ、とにかく約束だけの事にして貰ひたし。二年三年の後にもあれ、身を立てたる上は必ずよ。それまでは表向き他人並にて、何分宣しく頼むとの男の一言。よもや違変はあるまじと、母様もそれよりは、人の噂を深くはお心にかけたまはず。いよいよ身を入れてお世話したまふにぞ、我も行末夫と嫁くべき人の、かかる時より真心尽くしてこそと。かげになりひなたになり、力を添えし甲斐ありてや、その翌々年我廿歳といふ年の夏。方様は首尾よく予備門を卒業したまひしかば、これにいよいよ力を得て、これよりは今一際の辛抱にて、我は名誉ある学士の奥様といはれ。母様も、年頃うき世の、波濤を凌ぎたまひし甲斐ありて。なみなみならぬ方様の、おつつけ舟ともなりて世の海を、安らに渡らせましたまふ事なるべければ。その時こそは下宿や渡世もやめさせまして、かつては母子の首途を笑ひてし故郷人に、方様のお名を誇らばやなど、心構へし折も折。月かくす雲花散らす風は、世に免れぬ例かや、浅木様の母御俄に御国もとにて、身まかりたまひしとの訃音に、一度は帰りたまはではかなはぬ事となりにしぞ。娘心のあとやさき、飽かぬ別れを惜しむ間も、ないてばつかりゐる事かと母様の、甲斐甲斐しく我を促し立ちたまひて。じみなる着ものを俄の詮索、見苦しからず調へていざとばかりその夕ぐれに浅木様を、出立せましたまひたる後は。母子交はる交はるそなたの空をながめ暮せしに、三日おきて浅木様の方より、母様宛に、いと重やかなるお手紙来りぬ。
我は母様読みたまふ内ももどかしく、いかなる事をかとそぞろに心悩ませしに。やがて母様はホと大息吐かせたまひて、力なき御手にそと我が前へ投げやりたまふにぞ。我はいとど胸騒立てど、これもその人のと思へば、何とやらむ面はゆく口の内に読みもてゆくに。あはれなる事に書き続けたまひたる末、かくも母が年頃の瘠我慢、我に後顧の患ひあらせじとて、さまざまなる融通にその場を凌ぎたまひし結果。思はぬ方に借財のありて、我はゆくりなくも今やその虜とはなりぬ。さればこの囲を衝きて急に再び出京せむは、いともいとも覚束なき事にて、あるはこのまま田舎の土となり果てむも知るべからず。さてはかねての青雲の望みも空しくならむのみかは。大恩うけしそもじ母子の、知遇に酬ひむよしもなきは、いともいとも残念の至りにはあれど。今の身には少しの金融をも許さねば、いかんとも致し方なし。ついては幸殿も年頃の身なるに、このいひ甲斐なき我がことのみ待ちたまはむには。花顔零落空しく地に委するの不幸を招きたまはむやも知るべからず。されば、他に良縁あり次第、我に遠慮なく身を寄せしめたまへ。我も幸ひに風雲際会の時機を得ば、再び出京せむも知るべからざれど、今はこれも空しき望みとあきらむるの外なしなど。筆の雫も薄にじむ涙は男泣きにかと、我ははやその後を読むに堪へず。もしも少しのお金にて済む事ならば、我が身のかざり髪の道具も何ならむ。残らず売代してなりとも、方様のお身を自由にさせまし、我も恋しきお顔見たけれど。明けてそれとはいは橋の、夜の契りもせぬ人に、あんまり出過ぎた出来過ぎだと、母様のおぼしたまはんほどのうしろめたさに。さすがさうとはゆふまぐれ母様のお顔見へ分かぬをもどかしき事に思ひしに。日頃男勝りの母様この時きつぱりとしたお声にて。これ幸やそなたはどこまでも、あのお人と連れ添ひたい気かへと改めてのお尋ねに。何と御返事してよきやらと、我は今更戸惑ひたれど、やうやく思ひ切りてハイと心の誠を告げまつりしに。母様は思ひの外の御機嫌にて、さらば我も真心にて、出来るだけの金の工面はしてもみむ。さるかはりそなたにもこれまで通り、あれがほしいこれがほしいと、いやる通りのもの買ふてやる事は出来まじければ、それだけの事は覚悟しやと、我案ぜしよりは生むが易く、その夜直ぐにどこへか出で行きたまひたるが。翌日は二束三束の紙幣調へたまひて、直ぐにあなたへ送らせたまひしかば。一週間をも経たぬ内に、我は床しきその人を、またも明け暮れ見る事を得てき。
されど思ふ事一ツ叶へばまた一ツ、みを立てたしといふ浅木様のお望み、母様も叶へさせて上げましとは思せども。ならぬ工面もしたまひたる上の事、とてもこの後大学を卒へたまはむまでのお世話、女の手に届くべくもあらぬを、方様も覚悟したまひてや。それはまた時節を待ちし上の事、先づともかくも我は身のよすが求めむと。そこここ頼みありきたまひしが、二月ほどありて小石川なる、ある製薬会社に、出勤したまふ事となりぬ。