書斎で聞いていると時々鋏の音が聞こえたが、その音のぐあいでだれがやっているかはたいていわかった。
午前に私が刈り初めようとするとよく来客があった。そういう事が三四回もつづいた。来客を呼ぶおまじないだと言って笑うものもあった。これは無論直接の因果関係ではなかったが、しかし全くの偶然でもなかった。二つの事がらを制約する共通な条件はあった。ただその条件が必至のものでないだけの事であった。
毎日少しずつ鋏を使いながら少しずついろいろの事を考えた。いろいろの考えはどこから出て来るかわからなかった。前の考えとあとの考えとの関係もわからなかった。昔ミダス王の理髪師がささやいた秘密を蘆の葉が再びささやいたように、今この芝の葉の一つ一つが、昔だれかに聞いた事を今私にささやいているのかもしれない。
たとえば私は自分で芝を刈る事によって、植木屋の賃銀を奪っているのではないかという問題に出会った。そしていろいろもて扱っているうちに、これがもうかなりに古いありふれた問題である事に気がついた。それかと言ってこれに対する明快な解決はやはり得られなかった。
延び過ぎた芝の根もとが腐れかかっているのを見た時に、私はふと単純な言葉の上の連想から、あまりに栄え茂りすぎた物質的文化のために人間生活の根本が腐れかかるのではないかと思ってみた。そしてそれを救うにはなんとかして少しこの文明を刈り込む必要がありはしないかと考えた。しかし芝と文化とはなんの関係もない。芝を刈るのがいいといっても文明を刈り取るがいいという証拠にも何もならない事は明らかであった。あまりに皮相的な軽率な類推の危険な事を今さらのように思ってみたりした。実際そんな単純な考えが熱狂的な少数の人の口から群集の間に燎原の火のようにひろがって、「芝」を根もとまで焼き払おうとした例が西洋の歴史などにないでもなかった。文明の葉は刈るわけにも焼くわけにも行かない。
始めのうちはおもしろがっていた子供らもじきに飽きてしまってだれも鋏を手にするものはなくなった。ただ長女と私とが時々少しずつ刈って行った。そのうちには雨が降ったりして休む日もあるので、いちばん始めに刈った所はもうかなりに新しい芽を延ばして来た。
最後に刈り残された庭の片すみのカンナの葉陰に、一きわ濃く茂った部分を刈っていた長女は、そこで妙なものを発見したと言って持って来た。子供の指先ぐらいの大きさをした何かの卵であった。つまんで見ると殻は柔らかくてぶよぶよしていた。一つ鋏にかかってつぶれたのをあけて見たら中には蜥蜴のかえりかかったのがはいっていたそうである。「人間のおなかの中にいるときとよく似ているわ」とそばから小さな女の子が付け加えた。私は非常に驚いてこの子供の知識の出所を聞きただしてみると、それがお茶の水で開かれたある展覧会で見たアルコールづけの標本から得たものである事がわかった。
子供らはこの卵の三つか四つを日当たりのいい縁側の下の土に埋めておいた。数日たった後に掘ってみたらもう何もなかったそうである。ここにも大きな奇蹟はあった。
十日ほどにわたった芝刈りがやっと終わった。結果はあまり体裁のいいほうではなかった。刈り手の個性と刈り時の遅速とが芝生の上に不規則なまだらを描いていた。休まず働いている自然の手がその痕跡をぬぐい消すにはまだ幾日か待たなければならなかった。
保養の目的が達せられたかどうかはわからなかった。たいしてからだにさわりもしなかった代わりに別段のいい効果があったとも思われぬ。そのような効果が、秤や升ではかれるように判然とわかるものだったら、医師はさぞ喜びもしまた困る事だろうと思った。――ただ蜥蜴の卵というものを始めて実見したのがおそらくこの数日の仕事の一番の獲物であったろうと思っている。
(大正十年一月、中央公論)