(大正十年一月、『太陽』二七ノ一)
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この稿を続けるに臨み啓し置くは、鶏の伝説は余りに多いからその一部分を「桑名徳蔵と紀州串本港の橋杭岩」と題して出し置いた。故川田甕江先生は、白石が鳩巣に宛てた書翰と『折焚柴の記』に浪人越前某の伝を同事異文で記したのを馬遷班固の文以上に讃めたが、『太陽』へ出すこの文と『現代』へ寄せたかの文を併せ読んだら、諸君は必ずよくもまあたった一つのこの鳥について、かくまで夥しい材料を、同じ噺を重出せずに斉整して同時二篇に書き分けたものだ、南方さんは恐らく人間であるまいと驚嘆さるるに相違ない。さて前に釈迦の身長を記しながら「大仏の○○の太さは書き落し」で弥勒の身長を言い忘れたが、弥勒世界の人の身長は十六丈で弥勒仏の身長は三十二丈だ(『仏祖統記』三十)、また昔弥勒と僭号した乱賊あったと記憶のまま書き置いたが、確かに見出した例を挙げると高麗王辛禑八年五月妖民伊金を誅す、伊金は固城の民で自ら弥勒仏と称し、衆を惑わして我能く釈迦仏を呼び寄せる。およそ神祇を祀る者、馬牛肉を食う者、人に財を分たぬ者は必ず死ぬ、わが言を信ぜずば三月に至って日月光なし、またわれは草に青い花を咲かせ、木に穀を実らせ、一度種えて二度刈り取らしめ能う。また山川の神をことごとく日本に送り倭賊を擒にすべしなど宣言したので、愚民ども城隍祠廟の神を撤て去り、伊金を仏ごとく敬い福利を祈る、無頼の徒その弟子と称し相誑かし、至る所の州郡守令出迎えて上舎に館する者あり、清州の牧使権和、その渠首五人を捕斬しようやく鎮まったという(『東国通鑑』五一)、当時高麗人日本を畏るるに乗じ、弥勒仏と詐称した偽救世主が出た。その事極めて米国を怖るる昨今大本教が頭を上げたと似て居るぞよ。怖れて騒ぐばかりでは何にもならぬぞよ。支那にも北魏孝荘帝の時冀州の沙門法慶、新仏出世と称し乱を作した(『仏祖統記』三八)。
さて前回やり掛けた鶏足山の話を続ける。大迦葉が入定して弥勒の下生を待つ所を、耆闍崛山とするは『涅槃経後分』に基づき、鶏足山とするは『付法蔵経』に拠る(『仏祖統紀』五)。『観弥勒菩薩下生経』に弥勒は鶏頭山に生まるべしとあれば、かたがたこの仏は鶏に縁厚いらしい。支那には雲南に鶏足山あり、一頂にして三足故名づく、山頂に洞あり。迦葉これに籠って仏衣を守り弥勒を俟つという(『大清一統志』三一九)。本邦でも中尊寺の鶏足洞、遠州の鶏足山正法寺など、柳田氏の『石神問答』に古く鶏を神とした俗より出た名のごとく書いたようだが、全く弥勒と迦葉の仏説に因った号と察する。
かく東洋では平等無差別の弥勒世界を心長く待つ迦葉と鶏足を縁厚しとし、したがって改造や普選の運動家はこれを徽章に旗標に用いてしかるべき鶏の足も、所変われば品変わるで、西洋では至って不祥な悪魔の表識とされ居るので面黒い。それは専ら中世盛んに信ぜられた妖鬼アスモデウスの話に基づき、その話はジスレリーの『文界奇観』等にしばしば繰り返され、殊にルサージュの傑作『ジアブル・ボアトー』に依って名高い。婬鬼の迷信は中古まで欧州で深く人心に浸み込み、碩学高僧真面目にこれを禦ぐ法を論ぜしもの少なからず。実体なき鬼が男女に化けて人と交わり、甚だしきは子を孕ませまた子を孕むというので、ローマの開祖ロムルスとレムス、ローマの第六王セルヴィウス・ツリウス、哲学者プラトンやアレキサンダー王、ギリシアの勇将アリストメネス、ローマの名将スキピオ・アフリカヌス、英国の術士メルリン、耶蘇新教の創立者ルーテルなどいずれも婬鬼を父として生まれたとか(一八七九年パリ板シニストラリの『婬鬼論』五五頁)、わが邦には古く金剛山の聖人染殿后を恋い餓死して黒鬼となり、衆人の面前も憚らず后を嬈乱した譚あり(『今昔物語』二十の七)、近くは一九の小説『安本丹』に、安本屋丹吉の幽霊が昔馴染の娼妓、人の妻となり、夫に添い臥た所へ毎夜通い子を生まし大捫択を起す事あり。欧州にも『ベルナルズス尊者伝』にナントの一婦その夫と臥た処を毎夜鬼に犯さるるに、夫熟睡して知らず、後事露われ夫惧れて妻を離縁したと載せ、スプレンゲルはある人鬼がその妻を犯すを睹、刀を揮うて斬れども更に斬れなんだと記す。ボダン説に鬼交は人交と異なるなし、ただ鬼の精冷たきを異とすと。支那でも『西遊記』に烏鶏国王を井に陥れ封じた道士がその王に化けて国を治む、王の太子母后に尋ねて父王の身三年来氷のごとく冷たしと聞き、その変化の物たるを知り、唐僧師弟の助力で獅子の本身を現わさしめ、父王を再活復位せしめたとある。仏説にも男女もしくは黄門(非男非女の中性人)が売婬で財を得、不浄身もて妄りに施さば死後欲色餓鬼に生まれ、随意に美男美女に化けて人と交会すという(『正法念処経』一七)、一六三一年ローマ板ボルリの『交趾支那伝道記』二一四頁に、その頃交趾に婬鬼多く、貴族の婦女これと通ずるを名誉とし、甚だしきはその種を宿して卵を生む者あり、しかるに貧民は婬鬼を厭うの余り天主教に帰依してこれを防いだと出づ。宋朝以来南支那に盛んな五通神は、家畜の精が丈夫に化けて暴かに人家に押し入り、美婦を強辱するのだ(『聊斎志異』四)。けだし婬鬼に二源あり、一は男女の精神異態より、夢うつつの間に鬼と交わると感ずる者。今一つは若干の古ローマ帝が獣皮を被って婦女を姦したごとく、特種の性癖ある者があるいは秘社を結び、あるいは単独で巧みに鬼の真似して実際婦女を犯したのだ。そのほかに人と通じながら世間を憚って鬼に犯されたと詐称したのもすこぶる多かろう。四十年ほど已前、紀州湯浅町の良家の若い妻が盆踊りを見に往きて海岸に徜徉するところを、壮漢数輩拉して沖の小島へ伴れ行き輪姦せしを本人も一族も慙じて、大亀の背に乗せて島へ運ばれたと浦島子伝の翻案を言い触らしていた。古アッカジア人既に婬鬼を攘う呪法を備え(一八七四年パリ板ルノルマン著『カルジアおよびアッカジア魔法篇』三六頁)、一八一七年板マーチンの『トンガ島人記』二巻一一九頁には、ホトア・ポウてふ邪神好んで悪戯して人を苦しむ。ハモア島民はこの神しばしば睡中婦女を犯し、ために孕まさるる者多し。けだし不貞を掩うによき口実だと記す。以て婬鬼の迷信がいかに古く、またいかな小島までも行われたるを知るに足る。南インドでは難産や経行中死んだ女はチュデル鬼となり、前は嬋娟たる美女と見ゆれど、後は凄愴たる骸骨で両肩なし、たまたま人に逢わば乞いてその家に伴れ行き、夜の友となりて六月内に彼を衰死せしむと信ず(エントホウエンの『グジャラット民俗記』一〇七および一五二頁)、かく諸方に多い婬鬼の中でアスモデウス最も著わる。あるいはいう最初の女エヴァを誘惑した蛇、すなわちこの鬼だと。ウィエルス説に、この鬼、地獄で強勢の王たり。牛と人と山羊に類せる頭三つあり。蛇の尾、鵞の足を具え、焔の息を吐き竜に乗りて左右手に旗と矛を持つと(コラン・ド・ブランシー『妖怪辞彙』五板四六頁)、アラビアの古伝にいう、ソロモン王、アスモデウスの印環を奪いこれを囚う。一日ソロモン秘事をアに問うに、わが鎖を寛くし印環を還さば答うべしというた。ソロモン王その通りせしに、アたちまち王を嚥み、他に一足を駐めて両翅を天まで伸ばし、四百里外に王を吐き飛ばすを知る者なかった。かくてこの鬼、王に化けてその位に居る。ソロモン落魄して、乞食し「説法者たるわれはかつてエルサレムでイスラエルに王たりき」と言い続く、たまたま会議中の師父輩が聞き付けて、阿房の言う事は時々変るに、この乞食は同じ事のみ言うから意味ありげだとあって、内臣にこの頃王しばしば汝を見るやと問うと、否と答えた。由って諸妃を訪うて、その房へ王来る事ありやと尋ねると、ありと答えた。そこで諸妃に注意して、王の足はどんな形かと問うた。けだし鬼の足は鶏の足のようだからだ。諸妃答えたは、王は不断半履を穿きて足を見せず、法に禁ぜられ居る時刻に、強いてわれわれを婬し、また母后バトシェバを犯さんとして、従わぬを怒り、ほとんど片裂せんとしたと。諸師父、さては妖怪に極ったと急いで相集まり、印環と強勢の符籙を鐫り付けた鎖を、乞食体の真王に渡し、導いて宮に入ると、今まで王位に座しいたアスモデウス大いに叫んで逃れ去り、ソロモン王位に復したと。ヘブリウの異伝には、アスモデウス身を隠してソロモン王の妃に通ぜしに、王その床辺に灰を撒布し、旦に鶏足ごとき跡を印せるを見て、鬼王の所為を認めたりという。この鬼の足、鵞足に似たりとも、鶏足に似たりともいう。
ドイツの俚説に灰上に家鴨や鵞の足形を印すれば、罔両ありと知るという(タイラー『原始人文篇』二板、二巻一九八頁)。東西洋ともに鬼の指を鳥の足のごとく画くは、過去地質期に人間の先祖が巨大異態の爬虫類と同時に生存して、甚く怪しみ、怖れた遺風であろう。知人故ウィリヤム・フォーセル・カービー氏の『エストニアの勇士篇』にも諸国蛟竜の誕は右様の爬虫類、遠い昔に全滅したものより転訛しただろうと言われた。実際鳥と爬虫とその足跡分別しがたいもの多く、『五雑俎』九の画竜三停九似の説にも、爪鷹に似るとあり。『山海経』の図などに見るごとく、竜と鬼とは至って近いもの故、鬼の足、また手を鳥足ごとく想像したと見える。灰を撒いて鬼の足跡を検出する事は、拙文「幽霊に足なしという事」について見られよ。
鶏の霊験譚は随分あるがただ二、三を挙げよう。『諸社一覧』八に『太神宮神異記』を引いて、豊太閤の時朝鮮人来朝せしに、食用のためとて太神宮にいくらもある鶏を取り寄せ籠に入れてあまた上せけるに、ほどなく皆返さる。これは朝鮮人の食物に毛をむしりたる鳥、俎の上にて生きて起ち上り時を作りけるに因ると。また『三国伝説』を引いて、三島の社に目潰れたる鶏あり。いつも暗ければ時ならず時を作り、朝夕を弁えず。風霜に苦しみ、食に乏しく、痩せ衰うるを愍み、ある修行者短冊を書き、鳥の頸に付くるに、たちまち目開く、その歌は「には鳥のなくねを神の聞きながら心強くも日を見せぬかな」とある。