番「どうかお構いなく、文庫へお脱ぎなさいまし」
文「いや/\、人立がすれば往来の者も困りますし、お前も困るだろうが、一体どうした間違いだえ」
番「旦那様、山の浮草に出て居たお浪と云う悪党女と知らない者ですから、堺屋の番頭さんが湯の中で度々冗談を致し、今日も怪しからん事を致したものですから、番頭さんの手拭を引奪って置いて、番頭さんが湯から上るのを待っていて、彼の通り詫るのを聴かないで主人へ掛合うと云うから、主人が五六十両も強借られて、番頭さんも追出されますのでしょう」
文「それは気の毒な事だ、私が中へ入って詫をしてやりましょう」
番「旦那様が中へ入って下されば宜しゅうございますが、若し貴方の御迷惑になるといけませんから、お止しなすった方が宜しゅうございます」
文「いや/\入って見ましょう」
と云いながらツカ/\とお浪の側へ参り、
文「おい/\姉さん何だか悉しい訳は知りませんが、聞いていれば此の人は人違いでお前さんに悪戯をしたのだそうだから、腹も立とうが成り替って私が詫びましょうから、勘弁して此の人を帰して下さい、そうお前さんのように無闇に人を打つものではありません」
浪「どなたか知りませんが手を引いて下さい、私も亭主のある身で、姦通でもしていると思われては困ります、私の亭主も男を売る商売ですから、どんなに怒って私を女郎に売るか何だか知れません、亭主に対して打捨て置けませんから手を引いておくんなさい」
文「そういうことをすりゃア御亭主が無理というもの、湯の中で何程の事が出来るものではない、それを怒って女郎にするのなんのと云えば、それ程大切な女房なら、入込みの湯へ遣さなければいゝというようなものだから、まア/\そんな事を云わないで堪忍してやっておくんなさい」
浪「おい、何をいやアがるのだ、湯に遣そうが遣されめえがお前の構った事じゃアねえ、生意気な事を云わねえで引込んでろい」
文「ホイ/\堪忍しておくれ、私が粗忽を云いました」
浪「これさ、お前なんだ生若え身で耳抉りを一本差しゃアがって、太神楽見たような態をして生意気な事を云うねえお前ッちゃア青二才だ、鳥なら未だ雛児だ、手前達に指図を受けるものか、青い口喙でヒイ/\云うな、引込んでろい」
文「はい/\悪い処は重々詫をしますが、大の男が板の間へ手をついて只管詫をすれば御亭主の御立腹も解けましょうから幾重にも当人に成替って」
浪「いけねえよ、愚図々々口をきかねえで引込みなせい」
と云いながらズッと番頭を引立てに掛るから、
文「あゝ待ちなさい/\、それでは是程云っても聞き入れませんかえ」
浪「聴かれませんよ」
文「愈聴かれなければ此方にも了簡がある」
浪「聴かなければどうする」
文「聴入れなければ斯様致す」
と云いながら突然お浪の髻を取って引倒し、拳骨を固めて二ツ打ちましたが、七人力ある拳骨ですから二七十四人に打たれるようなもので、痛いの何んのと申して、悪婆のお浪も驚きました。なれども急所を除けて打ちます。
文「これ、汝は不届ものだ、手前の亭主はお構い者で、聞けば商人や豪家へ入り、強請騙りをして衆人を苦しめると云う事は予て聞いて居ったが、此の文治郎が本所に居る中は捨置く訳にはいかん、それに此の文治の事を青二才などと云おうようなき悪口を申したな、手前のような奴を活かして置いては大勢の人の難儀になるから打殺すのであるが、女の事ゆえ助けてやる、早く家へ帰って亭主の國藏という奴に、己は業平橋に居る浪島文治郎と云うものだから、打たれたのを残念と思うならいつでも仕返しに来いと屹と申せよ」
と云いながらトーンと障子を明けて、表へ突き出したから、お浪は倒れて眼が眩みましたが、漸くの事で這うようにして家へ帰って、國藏に此の事を話そうと思うと、其の晩は帰りませんで、翌日の昼時分に帰って来まして、
國「お浪今帰ったよ、寝てえちゃアいけねえ、火も何も消えて居るじゃアねえか」
浪「起きられやしねえよ、頭が割れそうだア」
國「なんだ頭が割れそうだ、頭が痛けりゃア按摩でも呼んで揉んで貰いねえナ」
浪「拳骨で廿ばかり打たれたよ」
國「なに打たれて黙って帰って来るような手前じゃアねえじゃねえか、何奴が打ったのだ」
浪「夕べお前が帰って来たらば直ぐに仕返しに行こうと思っていたが、いつでも杉の湯に来る奴が来たから、お前に教わった通りにして、向うへ強請に往こうと思うと、業平橋にいる文治と云う奴が来て、突然に私を打って、打殺して仕舞んだが助けてやるから家へ帰って亭主の國藏と云う奴に云って、いつでも仕返しに来いと云って、人を蚰蜒見たように摘み出しゃアがったよ、悔しくって/\仕様がねえから、仕返しに往っておくれよ」
國「静かにしろい、業平文治と云う奴は黒い羽織を着ている奴だな、結構だ」
浪「何が結構だ」
國「寒さの取付きに立派な人に打たれて仕合せよ、悪い跡はいゝやい」
と云いながら落着き払って出て行きましたが、何処で買ったか膏薬を買って来まして、お浪の身体へベタ/\と打たれもしない手や何かへも貼付け、四つ手駕籠を一挺頼んで来て、襤褸の〓袍を着たなりで、これにお浪を乗せ業平文治の玄関へ参りまして、
國「お頼み申します/\」
男「オヽイ」
と返事をして台所の方から来たのは、本所の番場で森松と云う賭博兇状持で、畳の上では生きていられないのが、文治の意見を聞いて改心して、今では文治の所にいる者です。
森「だれだえ」
國「えゝ浪島文治郎様のお宅はこちらですか」
森「此方だがお前はなんだえ、/\」
國「少し旦那にお目に懸ってお話し申したいことがあって来ました」
森「生憎今日は旦那はいねえや、何の用だか知らねえが日暮方にでも来ねえ」
國「旦那がお留守なら御新造さんにでもお目に懸りたいもんです」
森「御新造さんはねえや、お母さんばかりだ」
國「お母さんでも宜しゅうございます、へい、これは病人でございますから、おい/\ソーッと出ねえといけねえよ、骨が逆に捻れると不具になって仕舞うよ」
森「おい/\己の処は医者様じゃアねえよ、これは浪島文治郎さんと云う人の宅だよ」
國「そりゃア存じて居ります、おい若衆さん帰えってもいゝよ」
と駕籠屋を帰し、お浪の手をとりまして、
國「少し此処へお置なすっておくんなせえ」
森「おい、少し待っていねえ、お母さんに話すから」
と奥へ参り、
森「申しお母さんえ、何だか知れませんが膏薬だらけの女を連れて旦那にお目に懸りてえと云って来ましたから、旦那が留守だと云ったら、お母さんにお目に懸りたいと申しますが、何うしましょう」
母「此方へお通し申せ/\」
森「さア兄イ此方へ来ねえ」
國「えゝお初うにお目に懸りました、私は下駄職國藏と申すものでごぜえやすが、お見知り置かれまして此の後とも御別懇に願います」
母「はい、私は文治郎の母でございますが、生憎今日は他出致しましたが、誠に年を取って居りますから悴が余所様でお交際を致しましたお方は一向存じませんから、仰しゃりおいて宜しい事ならどうか仰しゃりおきを願います」
國「些とあなたのお耳へ入れては御心配でございましょうが、彼処に寝て居りますのは私の嚊で、昨晩間違いが出来ましたと云うのは、湯の中で臀を撫でたとかお情所を何うとかしたと云うので、亭主のある身でそんな真似をされちゃア亭主の前へ済まねえと云って、其の男に掛合って居る処へ、此方の旦那が来て私の嚊を拳骨で廿とか三十とか打って、筋が抜けたとか骨が折れたとか、なアにサ、何だかこんな事を申しやすと強請騙りにでも参った様に思召すだろうが、そう云う訳ではありませんが、お恥しい話ですが、其の日/\に下駄を削って居ります身分ですから、私が看病をすれば仕事をする事が出来ねえ、仕事をする事が出来なけりゃア食う事が出来ねえが、此方は御身分もありお宅も広うございやすから、どうかお台所の隅へでも女房を置いて重湯でも飲ましておいてくれゝば、私も膏薬の一貼位えは買って来ますから、どうかお預りを願います」
母「はい/\、それは誠にお気の毒様な訳で、嘸御立腹な訳でございましょう、仮令どのような事がありましても人様の御家内を打擲するとは怪からん訳でございます、若年の折柄人様に手を掛ける事が度々ありまして意見もしましたが、どうも性分で未だ直りません、どのようにも御看病もしとうございますが、私も寄る年で思うようにも御看病が届きませんと、御病人の癇が起りますものでございますから、お医者も此方からお附け申しましょうし、看病人も附けましょう、又あなたがお仕事をお休みになれば日々どれだけのお手間料が取れますか知りませんが、お手間料だけは私の方から」
國「いえ/\飛んでもねえ事を仰しゃる、此方からお手当を戴き嚊を宅へ置いて看病をすると、私も堅気の職人ですから、そんな事が親方の耳へでも入れば、手前は遊んでいて他から銭を貰う、飛んでもねえ奴だ、向後稼業を構うと云われては困ります、何も銭金をお貰い申しに参った訳ではありませんから、当期此方の台所の隅へ置いて下さい、五年掛るか十年掛るか知れませんが、どうか癒るまでおいておくんなせえ」
母「御立腹でもございましょうが、そんな事を仰しゃらないでお手当は十分に致しますからお連れ帰りを願います」
國「いえなに、銭金は入りません、医者も私が頼んで来ます」
母「どうかそう仰しゃらないで」
と只管頼めど悪党の強請騙りをすることをもくさんと申して、安い金では中々云う事を聞きませんから、
森「兄イ兄イ…お母さん黙っておいでなさい…兄イ此処じゃア話が出来ねえから台所へ往って話をしよう、己は番場の森松と云う者で、悪い事は腹一杯やって、今は此方の旦那の家に食客だ、旦那は無闇に弱い女や人を打つような方じゃアねえ、お前の処の姐御が何か悪い事をしたのだろうが、銭を貰っちゃア親方に済まねえと云うが、そんな事を幾ら云っても果てしはつかねえ、サックリ話をするから台所へ来ねえ」