國「何もお前さんに云うのじゃアありませんから手を引いておくんなせえ」
森「手を引くも引かねえもねえや、己も番場の森松だ、お前の帰りはのいゝようにして遣るから云う事を聞きねえな、己も是れ迄そんな事は度々やった事があるんだナ」
國「おい、訝しな事を云いなさるぜ、お前さんはこんな事が度々ありましたか、私ア骨の折れる程嚊を打たれたのは初めだ、お前さんは森松さんか何か知らねえが、お母様に願っているのにお前さんのような事を云われると、私ア了簡が小せえから屈んで仕舞って、ピクーリ/\として何も云えないよ」
森「おい、大概にしねえな、そんな事をいつまで云っても果しが付かねえから、おいこう、まア台所へ来ねえって事よ」
母「森松黙っていな」
森「まアお待ちなさい、お前さんは知らないのだから、おい兄イそんな事を云っても仕方がねえ、人間を打殺して下手人になっても人が入れば内済にしねえものでもねえから、お前の方へ連れて往けば話の付くようにするから台所へ来な」
國「おい兄さん、人を擲殺して内済で済みますかえ、そりゃア済ます人もあるか知れませんが、私アいやだ、怖かねえ事を仰しゃるねえ、お母さん、こんな事を云われると私ア臆病ものですからピクーリ/\としますよ」
森「台所へ来いよ/\」
と森松は懊れこんでいくらいっても動きません。其の筈で森松などから見ると三十段も上手の悪党でござりますから、長手の火鉢の角の所へ坐ったら挺でも動きません。処へ業平文治が帰って来まして、
文「森松此処を片付けろ」
と云うから、森松は次の間の所へ駆出して、
森「あなたは大変な事をやりましたねえ」
文「何を」
森「杉の湯で國藏の嚊を打擲りましたろう」
文「来たか、昨夜打擲った」
森「打擲ったもねえものだ、笑い事じゃごぜえやせん、彼奴は一ト通りの奴じゃアありませんから、襤褸褞袍を女に着せて、膏薬を身体中へ貼り付けて来て、動けねえから此方の家へおいて重湯でも啜らせてくれろと云って、中々手強いことを云ってるから、四五両では帰りませんぜ、四五十の金は取られますぜ」
文「宜しい、心配するな」
森「宜しいじゃありませんやね」
文「お母さんが御心配だろうな」
森「お母さんは無闇に謝まってばかりいますから、猶付込みやアがるのさ」
文「お母さんを此方へお呼び申しな」
と云うから小声で、
森「お母さん/\、此方へ/\」
と云って親指を出して知らせると、母も承知して次の間へ参りまして、
母「お前飛んだ事をおしだねえ」
文「あなたのお耳へ入れて誠に相済みません」
母「済まないと云って無闇に人を打つと云う法がありますか、先方様は素直に当家へ病人を引取って看病さえしてくれゝば宜しいと云うから、どうも仕方がないわな」
文「彼奴は悪い奴ですから只今私が話をして直に帰します、誠に相済みません、あなたは暫くお居間の方へいらっしゃいまし」
母「おや/\あれは悪党かえ」
森「申し、お母さんは知らないのだがね、彼奴は悪党で、私が何か云うといやにせゝら笑やアがるから、小癪にさわるから擲り付けようと思いましたがね、今こゝで彼奴を打つとウーンと云って顛倒えって仕舞うから、私も堪えていたのです。お母さん心配しないで此方へおいでなさい」
と隠居所の方へ連れて往きまして、
森「もし旦那え彼奴を打擲ると顛倒かえるから、そうすると金高が上りますよ」
文「宜しい/\」
と云って脇差を左の手へ提げて座敷へ入って参りまして、
文「初めてお目に懸ります、私は浪島文治郎と云う者です、只今母から聞きましたが、昨夜お前の御家内を打擲した処、今日其の御家内を連れて来て、此方で看病をしてくれろとのお頼み、又母が連れ帰ってくだされば金子は何程でも差上げると云うと、お前は親分や友達に済まんと云えば、いつまでもお話は押付かんが、打った処は文治郎が重々悪いから、飽くまで詫びたならばお前も男の事だから勘弁するだろうね、勘弁してくれたら互に懇意になり、懇意ずくなら金を貸してもお前の恥にも私の恥にもならないから、心が解けたら懇意になって懇意ずくでお内儀さんの手当となしに金を五十両やるからそれで帰って下さいな」
國「へゝ、こりゃアどうも、もし旦那え、お前さんのようにサックリと話をされちゃア何も云えない、と申すのは、貴方のような立派な方が私のようなものに謝まると仰しゃれば、宜しいと云わなければなりません、そうなれば懇意ずくで金を貸せば恥になるめえから五十両やると云う、実に何とも申そうようはござえません、実はお母さんのお耳へ入れまいと思ったが、つい貧乏に暮していますから苦しまぎれに申上げたのでございます、それではどうか五十両拝借したいものでございます」
文「五十両でいゝかえ」
國「宜しゅうございます/\」
と云うと文治は座を正して大声に、
文「黙れ悪人、其の方は此の文治を欺き五十両強請ろうとして参ったか、其の方は市中お構の身の上で肩書のある悪人でありながら、夫婦連にて此の近傍の堅気の商家へ立入り、強請騙りをして人を悩ます奴、何処ぞで逢ったら懲してくれんと思っていた処、幸い昨夜其の方の女房に出会いしにより打殺そうと思ったが、お浪を助けて帰したは手前を此の家に引出さん為であるぞ、其の罠へ入って能くノメ/\と文治郎の宅へ来たな、さア五十両の金を騙り取ろうなどとは申そうようなき大悪人、兎や角申さば立処に拈り潰して仕舞うぞ」
と打って変った文治郎の権幕は、肝に響いて、流石の國藏も恟り致しましたが、
國「もし旦那え、それじゃア、からどうも弱い者いじめじゃアありませんか、私の方で金をくれろと云ったわけじゃアありません、お前さんの方で懇意ずくになって金を貸すと云うから借りようと云うのだが、又亭主に無沙汰で人の女房を打って済みますかえ、其の上私を打殺すと云やア面白い、さアお打ちなせえ、私も國藏だア、打殺すと云うならお殺しなせえ」
文「不届き至極な奴だ」
と云いながら、突然國藏の胸ぐらを取って、奥座敷の小間へ引摺り込みましたが、此の跡はどう相成りましょうか、明晩申し上げます。
二
男達と云うものは寛永年間の頃から貞享元禄あたりまではチラ/\ありました。それに町奴とか云いまして幡隨院長兵衞、又は花川戸の戸澤助六、夢の市郎兵衞、唐犬權兵衞などと云う者がありまして、其の町内々々を持って居て、喧嘩があれば直に出て裁判を致し、非常の時には出て人を助けるようなものがございましたが、安永年間には左様なものはございません。引続きお話申します業平文治は町奴親分と云うのではありません、浪人で田地も多く持って居りますから活計に困りませんで、人を助けるのが極く好きです。尤も仁を為せば富まず、富を為せば仁ならずと云って、慈悲も施し身代も善くするというは中々むずかしいことでありますが、文治は身代もよく、人も助け、其の上老母へ孝行を尽します。兎角男達に孝子と云うは稀なもので、成程男達では親孝行は出来ないだろう、自分の身を捨ても人を助けるというのであるから、親に対しては不孝になるだろうと仰しゃった方がありましたが、文治は人に頼まれる時は白刃の中へも飛び込んで双方を和め、黒白を付けて穏便の計いを致しまする勇気のある者ですが、母に心配をさせぬため喧嘩のけの字も申しませず、孝行を尽して優しくする処は娘子の岡惚れをするような美男でございますが、怒ると鬼をも挫ぐという剛勇で、突然まかなの國藏の胸ぐらをとりまして奥の小間に引摺り込み、襖をピッタリと建って國藏の胸ぐらを逆に捻って動かさず、
文「やい國藏、汝は不届な奴である、これ能く承われ、手前も見た処は立派な男で、今盛りの年頃でありながら、心得違いをいたし、人の物を貪り取り、強請騙りをして道に背き、それで良いものと思うか、官の御法を破り兇状を持つ身の上なれば此の土地へ立廻る事はなるまい、然るに此の界隈で悪い事を働き、官の目に留れば重き処刑になる奴だに依って、官の手を待たずして此の文治郎が立所に打殺すが、汝は親兄弟もあるだろうが、これ手前の親達は左様な悪人に産み付けはせまい、どうか良い心掛けにしたい、善人にしたいと丹誠して育てたろうが、汝ア何か親はないかえ、汝は天下の御法を破り、強請騙りを致すのをよも善い事とは心得まいがな、手前のような奴は、何を申し聞かせても馬の耳に念仏同様で益に立たんから、死んで生れ替って今度は善人に成れ、汝は下駄屋職人だそうだが、下駄を削って生計を立てゝも其の日/\に困り、どうか旦那食えないから助けて下さいと云って己の処へ来れば米の一俵位は恵んでやる、然るを五十両強請うなどとは虫よりも悪い奴である、汝の親に成代って意見をするから左様心得ろ、人間の形をしている手前だから親が腹を立てゝ打つ事があろう、其の代りに折檻してやる」
と云いながら拳骨を固め急所を除けてコーンと打ちました。
國「あゝ痛た」
文「さア改心しなければ立所に打殺すぞ、どうだ」
國「どうか助けて下さいまし」
文「イヽヤ元より殺そうと思うのだから助けはせん、手前も命を賭けて悪事をするのじゃアないか、畳の上で殺すのは慈悲を以てするのだ」
と云いながら又胸ぐらを締上げたから、
國「ア痛た/\、改心致しやすから助けて下せえ、改心します/\」
文「弱い奴だなア、改心するなどと申して此の場を逃延びて、又候性懲りもなく悪事をした事が文治郎の耳に入れば助ける奴でない、天命と思って死ね」
國「ア痛た/\、そう締めると死んで仕舞います、屹度改心しますから何卒放して下せえ/\」
文「屹度改心致すか、改心致せ」
と云って突放された時は身体が痺れて文治の顔を呆気に取られ暫く見て居りましたが、
國「旦那え/\お前さんは噂にゃア聞いて居りやしたが、きついお方ですねえ、滅法な力だ、私も旧悪のある國藏で、お奉行がどんな御理解を仰しゃろうと、箒じりで破綻のいるほど打たれても恐れる人間じゃアねえが、お前さんの拳骨で親に代って打つと云う真実な意見の中に、手前は虫よりも悪い奴だ、又堅気の下駄屋で稼いでいて足りねえと云えば米の一俵ぐれえは恵んでやると云う言葉が嘘で云えねえ言葉だ、成程そう云われて見れば虫より悪い事をしやした、旦那え、実ア私ア寒さの取付きで困るから嚊をだしに二三両強請ろうと思って来たんだが、お前さんの拳骨で打たれた時は身体が痺れて口も何も利けなくなったが、妙な所を打つんだねえ、どうも変に痛いねえ、旦那え、屹度これから改心して國藏が畳の上で死なれるようになった時にゃア旦那へ意趣返しのしようはねえが、私が改心した上で鼻の曲った鮭でも持って来たらば、お前さんも些とア胆魂が痛かろうと思うが、其の時は何と仰しゃいますえ」