嫌い
嫌いといえば、私はかつて蜘蛛という随筆を書いたことがある。如何に私がこの世の中で嫌いだということはそれを読んだ人は知ってくれる筈だ。
今や再び嫌いについて考えてみるに、やはりなんといっても私には蜘蛛ほど嫌いなものはないようである。まったく私は蜘蛛だけは胸がドキドキする位の嫌いさである。
この嫌な蜘蛛にもたくさんの種類があるが、私の一番怖ろしく思う種類のものは、その足を拡げると直径四、五寸から五、六寸にいたるものである。胴体がドス黒くて、太くて長い足をノソリノソリと動かすところ、私はとうてい正視するに忍びないのである。情けないことにはこの蜘蛛は多く室内にいて天井や、壁や便所の中を歩き廻るのだから堪らない。いわば同居しているのだから、私にとっては生涯の苦の種だ。
この蜘蛛は主として関西方面に多く、ことに温かい国に多いのだ。紀州や四国辺などには随分どっさりいるらしい。
私がある夏、伊予の道後温泉で高浜虚子氏や朝日の大道鍋平君などとともに四、五日滞在したことがあった。ところがその宿にこの大蜘蛛の多かったことは驚くべきものであった。
初めて座敷へ通った時、私は床の間の上に一匹、天井の壁に二、三匹、大きな奴が控えているのを発見して私はこんなところに永居は出来ないと考えた。
私が二階へ行こうとして階段を登りかかると大きな一匹が下りて来て、ちょうど階段の途中で蜘蛛と私がすれちがったことがあった。私は悲鳴を上げた。蜘蛛はその声に驚いて飛び上がった、それでまた私が夢中になって座敷へ転がり込んだ。
それから私の神経は極度に興奮して、一寸蝿が首筋へとまってさえも私は飛び上がった位だ。私は大道君に頼んで、一つ一つ座蒲団をもって退治してもらった。鍋平朝臣の蜘蛛退治というのはあまり伝説にも見当たらないようだがなかなか手際のいいものだった。私はその死骸を見るに忍びないので、始末のつくまで、庭へ出て待っていたことである。私は道後を思うとすぐ蜘蛛を思い出していけない。
去年の夏は紀州の大崎という片田舎の漁村へ、研究所の夏季講習会があったので生徒とともに出かけてみた。
ところがその宿の便所というのが、そもそも私達が到着したその時から気にかかって堪らないものであった。その夜のことだ、私はどうしても便所へ入る必要に迫られたものであった。もちろん淋しい漁村のことだから、便所に電灯がつく筈もないのだ。その真暗の便所の壁に、どうやら何物かがいそうな気がしてたまらないのであった。そこでとうとう同行の国枝金三さんに、君一つはばかりまでついて来てはくれまいかと頼んでみたものだ。
何がさて、仏性の金三さんだから快く引き受けてくれた。よしよしといいながら提灯を携げてついて来てくれた。なんぞいるかというので、私はちょっと待っててやといいながら尻をまくって便所の隅々を見廻した。すると予感というものはまったくおそろしいもので、大きな奴がしかも二匹、目玉が燐光を放って物凄いのだ。
君、いるいるといって私は往来へ逃げ出した。暫時、金三さんはドタンバタンと便所の中で一人立廻りをやっていたが、やがて小出君、安心しいや、もう二つとも殺したという声がした。私はその時位金三さんの親切が身に沁み込んだことはなかった。しかしながらこんな仏性の人に二匹まで殺生をさせたことを大変相すまぬと思って今に気にかかっているのである。
そんなに嫌いな蜘蛛をば種に使って私は子供の時分、よく大人を欺したことがある。私は画用紙へその大蜘蛛の姿を墨で描いて、鋏で切り抜くのであった。切り抜いてみると、自分で今切り抜いた筈のその絵の蜘蛛が、心もち悪くて自分で掴めない位なものである。それを我慢しながら、その八本の足の先端へ糊をつけて暗い壁へ貼付けるのである。すると胴体だけが少し浮き上がってちょっと見ると本ものに見えるのである。しかる後、私はさァ皆来てくれ、くもやくもやと騒ぎ廻るのだ。
ある時蜘蛛を生捕りにすることを自慢のおやじが近所にいた、おやじは早速団扇と篩とを持ってやって来て、さあ見なはれや、今生捕りまっさかいといいながらその紙の蜘蛛へ一生懸命篩を被せているのであった。ところが足が糊づけだから、なかなか蜘蛛は動かないのだ。何度被せてみても元の如くちゃんと壁に噛みついているのである。さすがのおやじも少し不気味に思えたとみえて、これはおかしいぞといって少し蒼くなった。見物していた皆のものも少し変な顔をした。おやじはとうとう団扇でくもをなぐりつけたものだ。すなわち紙の蜘蛛はヒラヒラと散って来た。裏は真白だったからおやじは怒った。もこれからは、ほんまにぼんぼん蜘蛛が出たかて、取ったれへんぞといって帰ってしまった。そして学校で教わった狼の話を私は思い出してはなはだすまないと思ったことがある。