五月の風景
私は冬中をば冬眠中の蜘蛛の如く縮み上がって暮す。そして冬眠中に出来そうな仕事、例えばストーブの側で裸女を描くとか、あるいは公設市場で蔬菜静物を買い込んで来てテーブルへ並べてみるとか、あるいは子供の流感に喫驚して代診の如く体温計を持って走ってみたりなどするのである。
ところでいくら神様が造ったと称する不思議にも立派な裸女や蔬菜静物といえども、毎日毎日眺めていると食べものと同じく飽きるものである。ああ、またカボチャかと思う。こうなってはもはや、何事もおしまいである。早く春になれと思う。新鮮な風景を早く描きに出たいと考える。それで私は人一倍春を待つのである。
大体春というものはいじけているものを伸上がらせるものである。私が春に会うて伸出すと同時に冬中縮みながら考えていたところの芸術という私の一番大切な考え以外における私の体内にひそむその他のあらゆるものまでを共に伸上がらせてしまうのである。伸出すものは私ばかりではない世の中の花が揃って咲出すのである。本当の蜘蛛もそろそろ動き始める。すると汽車や電車は浮上がり伸出した人達でもってすでに一杯となっているし、往来へ出ると御馳走の嘔吐が吐き散らされているし、浪花踊が始まっていたり、芦辺踊の紅提燈がずらりとお茶屋の軒に並んでいたりするのである。すると私はちょっとカンヷスを枠へ貼ってみたり、あるいはちょっと外出してみたり、帰ってみたり、またちょっと出てみたり、また帰ってみたり、あるいは「どうしたものか知らん」「何んぞ」「どないぞ」「何んとか一つ」といった言葉を繰返しながら、すこぶるよい天気の一日を殆ど中腰となって、動物園の狐が檻の中でする如く狭い部屋の中をぐるぐると巡回するのである。こうなるとしまいには何とも知れない憂鬱が込み上がってくるものだ、わけのわからない癇癪が立ちのぼってくる。
私はこんな状態になったある日のこと、とうとう私は妻君にちょっとしたいいがかりをして、食べていたお茶漬を襖へ向かって投げつけたことがあった。襖は破れて茶碗は半分、唐紙へ食い込んだ。その穴から襖の中へお茶漬が半分流れ込んであとの半分は畳の上へ散乱したものである。散乱したお茶漬というものは随分穢いものだと私は思った。私はそれを見るに忍びないので二階へ駆け上がったがどうも気にかかって堪らないので二〇分ばかりの後、そっと下りて茶の間を覗いて見た。すると驚いたことには何もかも綺麗に片づけてあるのにこわれた茶碗とお茶漬だけは、散乱したままそっと宝物の如く大切に保存されてあるのだった。これには少し弱った。一刻もこんな穢らしいものを捨てておけないと私は考えたが、今さら掃除を命じるのはくやしいから、掃除位なんだと私は叫んで箒を持ってめし粒を掃き寄せ、襖の穴へは紙を貼った。流れ込んだ茶漬は仕方がないからそのまま封じ込めてしまった。
その後私はその襖を見るたびにこの中には、あのめし粒が入っているんだなと思うのである。
まずそんないろいろの悩ましき障害から、私は春になったら花を描いてみよう、桃のある間にあすこへ出かけて二、三枚制作してみようなど数年来同じことを考えていながら、ただそわそわとしてまだ一枚の春らしい絵も作らず、今年こそ今年こそと思いつつこの季節を逃してしまうのである。
ようやくにして多少の猥褻の気を含める桜の花も散りはて、柿の若葉が出揃い、おたまじゃくしが蛙となって鳴き出す頃、初めて私の神経がややもとの鞘へ収まろうとするのである。もう世の中全体の浮気も一段落を告げ、もはや何を見ても満目青いことである。それからだんだん自然の青さと暑さは増すばかりだ。
この青さと暑さが私にとってよい合薬だ。私は私の故郷へでも帰った心地がする。もう電車や汽車に乗っても、酔っぱらった青年団や旗を持った運動会にも出会わない。まず家を出て仕事をして帰るまで、さほど機嫌を損じることもない。まず五月の風景は私の野外における仕事始めのかき入れ時である。
ところが多少困ることにはこの安心な初夏風景は絵の構成上、色彩に不足を感じることである。すなわちただ一切が緑であるから。
それでようやく辛うじて、空と水とによって画面の色彩に変化を保たせようとするのである。絵描きに限らず人は何となく、夏になると水のそばへ行きたがるのもあるいは同じ要求からかも知れないと思う。
でもまだ初夏には若葉のよき階調があるけれども、もう梅雨を過ぎるといよいよ緑は深くどす黒く、ただもう鬱蒼として黒いのである。したがって画面はすこぶる単調を免れない。
しかしながら私はそれで満足して、静かに日傘の下で安心して仕事をつづけることが出来る。
(「新潮」昭和二年五月二十六日)