たき「何うしたえ、私の手紙が往違いにでもなりやアしないかと思って何んなにか心配したよ」
松「宜い塩梅に僕の手に這入ったが、家主ア東京へ往ったじゃアねえか」
たき「宜いよ。私は本当に案じたよ、お前の来ようが遅いから待ちぼけは詰らないと思ってたが能く来たね、何ね少しお金の出来る事が有って東京へ往ったんだが、一体才覚の無い人だから出来る気遣は無いよ、誰がおいそれと金を貸す奴があるものかね、屹度出来やア為ないが、二百両借りて来ると云ったから十日や十五日は帰るまいと思うよ、□□□□、□□□□□□□□□□□」
松「だって体裁が悪くて成らねえんだ、親指が感附きゃア為ねえか知ら」
たき「大丈夫だよ、彼んなでれすけだから気の附く気遣は有りゃア為ませんよ」
と云うひそ/\話を窓の下で聞いて居りました茂之助は腹を立て、
茂「己の事をでれすけ呼わりをしてえやアがる、罰当り奴、前橋の藤本で手を合せて、私を請出して素人にしておくんなさる此の御恩は忘れないと云やアがった事を忘れたか」
とグーッと癇が高ぶって来ると、額に青筋を現わし、唇を慄わし、踏込もうかと思ったが、いや/\二人枕を並べて居る処へ踏込まなければ遣り損うと思いましたから、尚おそっと窓の下に茫然立って居ると、藪蚊と毒虫に螫れるので癢くて堪りませんから、掻きながら様子を立聞をして居ました。
* そろばんがたの、すかしのあるかんざし、この頃流行せしもの。
七
たき「何んにも無いが、魚屋に頼んで置いたら些っとばかり赤貝を持って来たからお食りな」
松「何んだか何うも心配だなア」
たき「大丈夫だよ、お前が前橋へ来た時には私は貧乏して居たが、縁と云うものは妙だね、私が芝居町で芸妓をして居た時分に、まだ私が十五六で雛妓で居た時分からお前さんに岡惚をして居て、皆に嬲られて居る中に、一度が二度逢引をすると、其の時分には幾ら私が惚れたッてお前さんは未だ殿様株で、立派な気の詰るような人でありましたが、思う念も遂げられたけれども、それがため借金が出来て、此様な田舎へ出稼するような身になって、前橋に居た時にもお前さんに逢いたいばかりで、厭だけれども茂之助を金持だと思って来て見れば、矢張り金は有りゃアしないんだアな、彼の時は有る振りをしていたから、此の人に取っ掴まって居たら、またお前さんに逢える時節も有ろうかと来て見ると、立派な女房も有るんだよ、是まで余り道楽をしたとか云うので、実家へも帰られないので此様な汚ない空家を借りて世帯を持たして、爺むさいたッてお前さん茅葺屋根から虫が落ちるだろうじゃアないか、本当に私を退したって亭主振って、小憎らしいのだよ、此間の晩も種々話したいことが有るんだけれども出来ないと云うのはね、茂之助が、寝て居て鼾は掻くが時々動いたりバタ/\したりして気味が悪いから、じっと我慢をして居たが、本当に松さん居難いと思っておくれ、お前に逢って斯う云う訳に成ったら、茂之助が厭に成って何か彼奴に云われると、本当に身の毛立つほど厭なんだよ、併し大金を出して、私の身を請出してくれた恩が有るから、黙って居るけれども、実は厭なんだよ、私は半年でもお前さんと夫婦に成らなけりゃア置かないよ、若し夫婦に成れなければ寧そ死んで仕舞う積りだよ」
と話して居るを聞き、茂之助は一層怒りを増し、
茂「畜生め/\芝居町にもと居た時分からくッついて居やアがったんだ、己と口をきくのも厭だてえやアがる、うーむ彼奴に逢いてえばッかりに己をお客にして騙しやアがッて、畜生めむうー」
と余り腹が立つと鼻がフー/\鳴るから、自分で鼻を押え、猶も身を寄せて立聞くとも知らず、
たき「ちょいとこれを喰べて御覧よ、□□□□□□□□□□□□□□□□□□、□□□□□□□□□□□□□□□、お前に逢うと、何んだか私は我儘になって変になっちまうんだよ、と云って此家を出る訳にも往かず、何うかして茂之助が死ねば宜いと思って居るのに、中々悪達者で死なゝいのだよ、此間もお腹が甚く痛むと云うから、宜い塩梅だ、コレラに成るのかと思ったと云うは、悪いお刺身の少しベトつくのを喰べたから、便所へ二度も往きゃア大丈夫だと思ってると一日経つとサバ/\熱が取れて薩張り癒って仕舞ったから、私はがっかりして仕舞ったのさ」
茂「畜生、亭主の病気が癒ってがっかりする奴が有るものか」
ともう耐え兼ねて、短い脇差へ手を掛けて抜き掛けて土間口から這入って来るとも知らず、奥では一盃飲みながら松五郎の膝へもたれ掛り、
たき「□□□□□□□□□□□□□□□」
と、一盃の酒を飲み合い、もたついて居るのを見たから堪りません。平素温和しい善い人の怒ったのは甚いもので、物をも云わずがらりと戸を開けて中へ飛込み、片手に抜身を提げて這入ると、未だ寝は致しません、お膳の前でピッタリ寄添って酒を飲んで居る処へ飛込んだから、少し間合が早かったけれども、我慢が出来ませんから松五郎を目懸けて斬り込むと云う、此の事が騒動の始まりでございます。
八
東京でも他県でも色恋の道では随分自分の身を果します、間男をされて腹を立てぬものは、一人もございません、男同士でも交情が善くって手を曳合って歩いても、他の人とこそ/\耳こすりでもされますと男同士でも嫉妬を起して、彼は茂山氏の傍へばかり往って居る、一体彼奴は心掛けが宜くない、軽薄を以て彼の方へ取附こうと云う考えだろう、などと詰らない事を云って怒ります。同じようなお膳が出まして鯛の浜焼が名々皿に附いて出ましても、隣席の人の鯛は少し大きいと腹を立て、此家の亭主は甚だ不注意極まる、鯛などは同じように揃ったのを出せば宜いんだ、と云っても然う揃ったのは有りません。また隣で蔵でも立派に建てますと、何うだえ此の頃は忌にぎすついて来たが、成上りてえものは宜けねえ者だ、旦那然とした面を為やアがって、朝湯で逢っても厭に肩で風を切って、彼奴が蔵を建ったので丁度南から風の這入る処を、蔵の為に坐敷が暗くなっていけません、何彼だって好い蔵じゃア有りません、毀しか何か買って来たんでしょう、火事でも有りゃア直に火が這入ります、などゝ自分で建てる事が出来んとグッと込上げて参りますが、誰も此の嫉妬心は離れる事は出来ませんものと見えます。況てや大金を出しまして連れて来たお瀧が、松五郎の膝へしなだれ寄って亭主の事を悪口を云うのだから腹の立つのも道理、茂之助は無茶苦茶に斬込んで来ましたから二人は驚き、お瀧は慌てゝ逃げ出す。松五郎は旧は士族だけに腕に覚えの有る奴、素より剛胆の奴ゆえ左のみに驚きませんで、一歩退って後に有りました烟草盆を取ってポカリと投げ附けると、茂之助の肩をかすッてパチリと柱へ当ると、灰は八方へ散乱致す、其の中にお瀧は一生懸命だから四巾布団を取って後から茂之助を抱き締めましたが、女の事で身丈が低いから羽がい締めと云う訳には参りません、脇の下をお瀧に押えられたが、茂之助は無茶苦茶に刀を振り舞しながら、
茂「間男見附けた、さア二人重ねて置いて四つにしようと八つに為ようと己の了簡次第だ、間男見付けた」
と死物狂いの声で呶鳴り立てゝ、ピン/\と鼻へ抜けて出る調子で、精神はもう頭へ上って居ます。松五郎は何か無いかと四辺をキョロ/\探すと、巻手と申しまする何か機織道具で、長二尺ばかり厚み一寸も有ります巻手と云うものを取って打って掛る。
たき「誰か来ておくんなさいよ、家の良人が大変でございますよ、人殺イ」
と云っても田舎の事ゆえ誰有って来るものは有りません。すると一軒隔いて隣に川村三八郎と云う者が居ますが、妙な堅いような耄けたような変な人でございまして、早く開化の道理を少し覚え、開化は宜いもんだと考えを起して居りますが、未だちょん髷が有りまして、一体何うも此の人は聞覚えの分らぬ漢語を交ぜて妙な言を云います、漢語と昔のお家流の御座り奉るを一つに混ぜて人を諭したり口を利くのが嗜きな人でございます。処が今茂之助の家で女の声で、キイーキイー人殺しイと云うを聞き付け、捨置き難いと存じましたから飛び込んで見ると、茂之助が抜刀を振廻して居ます。松五郎を目懸けて打って掛るを抱き留め、
三「先ず待ち給え」
と云いながら茂之助の手を押え、
三「聊か待ち給え、急いては事を為損ずるから、宜しく精神を臍下丹田に納めて以て、即ち貴方ようく脳膸を鎮めずんばあるべからず、怒然として心を静め給え」
茂「へえ有難う……ございますが、どうか放して下さい」
と云う。
九
茂「三八さん、誠にお恥かしい事でございますが、此のお瀧の畜生奴、間男を引摺込んで貴方私の事を悪口して居るのを私が聞くとも知らず、大それた枕を並べて寝に掛ったから助けちゃア置かれません、私だって素は御領主さまの家来で、聊か御扶持も戴いた者ゆえ親父に聞えても私が顔が立ちません、名義が廃ります、ヘエ」
三「いや、御尤もの事だが、能く爰の道理を君肯かんと宜しく無いて、何のような事が有ろうとも僕が斯う遣って此処へ仲来して、今君だちの困難を発明することは公然たる処を得たりと雖も、お瀧どのが一体逃去ったる義で御座り奉つり候、茂之助さんが大金を出して身請に及び、斯る処の一軒の家まで求め、即ち何不足なく驚愕安然として居られるのを有難く存じ奉る義と心得あるべからんに、密夫を引入れてからに、何うも酒肴をとり引証をするのみならず、安眠たる事は有るまからんと存奉候、其処の道理を推測って見ますと、尊公の腹立致さるゝ処は至極何うも是は沈黙千万たるの理合にあらずんば有るべからず」
と何んだか云う事は些とも分りません、可笑いのも上せて居りますから気が付かず茂之助は夢中で居ります。
茂「お前さんの云う事は何んだか薩張り分りませんが、男女とも此の儘何うも捨置く事は出来ません、御意見に背くようですが親父の前へ対しても打棄っちゃア置かれませんから、私は彼奴を斬らずにゃア置きません、何うぞお手をお引き下さいまし」