三
○東京の牡丹は多く上方から苗が来るので、寒牡丹だけは東京から上方の方へ輸出するのぢやさうな。このほかに義太夫といふやつも上方から東京へ来るのが普通になつて居る。さうして東京の方を本として居るのは、常磐津、清元の類ひである。牡丹は花の中でも最も派手で最も美しいものであるのと同じやうに、義太夫はこれらの音曲のうちで最も派手で最も重々しいものである。して見ると美術上の重々しい派手な方の趣味は上方の方に発達して、淡泊な方の趣味は東京に発達して居るのであらうか、俳句でいふて見ても昔から京都の方が美しい重々しい方に傾いて、江戸の方は一ひねくりひねくつたやうなのが多い。蕪村の句には牡丹の趣がある。闌更の句は力は足らんけれどもやはり牡丹のやうな処がある。梅室なども俗調ではあるが、松葉牡丹位の趣味が存して居る。江戸の方は其角嵐雪の句でも白雄一派の句でも仮令いくらかの美しい処はあるにしても、多少の渋味を加へて居る処はどうしても寒牡丹にでも比較せねばなるまい。(五月七日)
四
○西洋の古画の写真を見て居たらば、二百年前位に和蘭人の画いた風景画がある。これらは恐らくはこの時代にあつては珍しい材料であつたのであらう。日本では人物画こそ珍しけれ、風景画は極めて普通であるが、しかしそれも上古から風景画があつたわけではない。巨勢金岡時代はいふまでもなく、それより後土佐画の起つた頃までも人間とか仏とかいふものを主として居つたのであるが、支那から禅僧などが来て仏教上に互に交通が始まつてから、支那の山水画なる者が輸入されて、それから日本にも山水画が流行したのである。
日本では山水画といふ名が示して居る如く、多くは山や水の大きな景色が画いてある。けれども西洋の方はそんなに馬鹿に広い景色を画かぬから、大木を主として画いた風景画が多い。それだから水を画いても川の一部分とか海の一部分とかを写す位な事で、山水画といふ名をあてはめることは出来ぬ。
西洋の風景画を見るのに、昔のは木を画けば大木の厳めしいところが極めて綿密に写されて居る。それが近頃の風景画になると、木を画いても必ずしも大木の厳めしいところを画かないで、普通の木の若々しく柔かな趣味を軽快に写したのが多いやうに見える。堅い趣味から柔かい趣味に移り厳格な趣味から軽快な趣味に移つて行くのは今日の世界の大勢であつて、必ずしも画の上ばかりでなく、また必ずしも西洋ばかりに限つた事でもないやうである。
かつて文学の美を論じる時に、叙事、叙情、叙景の三種に別つて論じた事があつた。それを或人は攻撃して、西洋には叙事、叙情といふ事はあるが叙景といふ事はないといふたので、余は西洋の真似をしたのではないといふてその時に笑ふた事であつた。西洋には昔から風景画も風景詩も少いので、学者が審美的の議論をしても風景の上には一切説き及ぼさないのであるさうな。これは西洋人の見聞の狭いのに基いて居るのであるから先づ彼らの落度といはねばならぬ。(五月八日)