一 赤嵌城趾
クツタウカン——字でかけば禿頭港。すべて禿頭といふのは、面白い言葉だが物事の行きづまりを意味する俗語だから、禿頭港とはやがて安平港の最も奧の港といふことであるらしい。臺南市の西端れで安平の廢港に接するあたりではあるが、さうして名前だけの說明を聞けばなるほどと思ふかも知れないが、その場所を事實目前に見た人は、寧ろ却つてそんなところに港と名づけてゐるのを訝しく感ずるに違ひない。それはただ低い濕つぽい蘆荻の多い泥沼に沿うた貧民窟みたやうなところで、しかも海からは殆んど一里も距つてゐる。沼を埋め立てた塵塚の臭ひが暑さに蒸せ返つて鼻をつく厭な場末で、そんなところに土着の臺灣人のせせこましい家が、不行儀に、それもぎつしりと立竝んでゐる。土人街のなかでもここらは最も用もない邊なのだが、私はその日、友人の世外民に誘はれるがままに、安平港の廢市を見物に行つてのかへり路を、世外民が參考のために持つて來た臺灣府古圖の導くがままに、ひよつくりこんなところへ來てゐた。
人はよく荒廢の美を說く。又その槪念だけなら私にもある。しかし私はまだそれを痛切に實感した事はなかつた。安平へ行つてみて私はやつとそれが判りかかつたやうな氣がした。そこにはさまで古くないとは言へ、さまざまの歷史がある。この島の主要な歷史と言へば、蘭人の壯圖、鄭成功の雄志、新しくはまた劉永福の野望の末路も皆この一港市に關聯してゐると言つても差支ないのだが、私はここでそれを說かうとも思はないし、また好古家で且詩人たる世外民なら知らないこと、私には出來さうもない。私が安平で荒廢の美に打たれたといふのは、又必ずしもその史的知識の爲めではないのである。だから誰でもいい、何も知らずにでもいい。ただ一度そこへ足を踏み込んでみさへすれば、そこの衰頽した市街は直ぐに目に映る。さうして若し心ある人ならば、そのなかから悽然たる美を感じさうなものだと思ふのである。
臺南から四十分ほどの間を、土か石かになつたつもりでトロツコで運ばれなければならない。坦々たる殆んど一直線の道の兩側は、安平魚の養魚場なのだが、見た目には、田圃ともつかず沼ともつかぬ。海であつたものが埋まつてしまつた——といふより埋まりつつあるのだが、古圖によるともともと遠淺であつたものと見えて、名所圖繪式のこの地圖に水牛に曳かせた車の輞が半分以上も水に漬つてゐるのは、このあたりの方角であらう。しかし今はたとひ田圃のやうではあつても陸地には違ひない。さうしてそこの、變化もとりとめもない道をトロツコが滑走して行く。熱國のいつも靑々として草いきれのする場所でありながら、荒野のやうな印象のせいか、思ひ出すと、草が枯れてゐたやうな氣持さへする。これが安平の情調の序曲である。
トロツコの着いたところから、むかし和蘭人が築いたといふTE CASTLE ZEELANDIA所謂土人の赤嵌城を目あてに歩いて行く道では、目につく家といふ家は悉く荒れ果てたままの無住である。あまりふるくない以前に外國人が經營してゐた製糖會社の社宅であるが、その會社が解散すると同時に空屋になつてしまつた。何れも立派な煉瓦づくりの相當な構への洋館で、ちよつとした前栽さへ型ばかりは殘つてゐる。しかし砂ばかりの土には雜草もあまり蔓つてはゐない。その竝び立つた空屋の窓といふ窓のガラスは、子供たちがいたづらに投げた石の爲めででもあらうか、破れて穴があいてないものはなく、その軒には巢でもつくつてゐるのか驚くほどたくさんな雀が、黑く集合して喋りつづけてゐる。
私たちは試みにその一軒のなかへ這入つてみた。內にはこなごなに散ばつて光つてゐるガラスの破片と壞れた窓枠とが塵埃に埋つてゐるよりほかは何もなかつた。しかし二階で人の話聲がするので上つて行つてみると、そこのベランダに乞食ではないかと思へるやうな裝ひをした老人が、これでも使へるのだらうかと疑はれるぼろぼろになつた漁網をつくろつてゐる傍に、この爺の孫ででもあるか、五つ六つの男の子がしきりにひとり言を喋りながら、手であたりの埃を搔き集めて遊んでゐたらしいのが、我々の足音に驚いて闖入者を見上げた。老漁夫も我々を怖れてゐるやうな目つきをした。彼等はどこか近所の者であらうが、暑さをこの廢屋の二階に避けてゐたのであらう。ともかくもこれほど立派な廢屋が軒を連ねて立つてゐる市街は、私にとつては空想も出來なかつた事實である。(この二三年後に臺灣の行政制度が變つて臺南の官衙でも急に增員する必要が生じた時、これらの安平の廢屋を一時、官舍にしたらよからうといふ說があつたが、尤もなことである。)
赤嵌城址に登つて見た。ただ名ばかりが殘つてゐるので、コンクワートで築かれた古い礎のあとがあるとはいふけれども、どれがどれだかさすがの世外民もそれを知らなかつた。今は稅關倶樂部の一部分になつてゐる小高い丘の上である。私の友、世外民はその丘の上で例の古圖を取ひろげながら、所謂安平港外の七鯤身のあとを指さし、また古書に見えてゐるといふ鬼工奇絕と評せられる赤嵌城の建築などに就て詳しく說明をしてくれたものであるが、私は生憎と皆忘れてしまつた。さうして私の驚いたことといふのは、むかし安平の內港と稱したところのものは今は、全く埋沒してしまつてゐるのだといふだけの事であつた——全くあまり單純すぎた話ではあるが。事實、私は歴史なんてものにはてんで興味がないほど若かつた。さうしてもし世外民の影響がなかつたならば、安平などといふ愚にもつかないところへ來てみるやうな心掛さへなかつたらう。さういふ程度の私だから、同じやうな若い身空で世外民がしきりと過去を述べ立てて咏嘆めいた口をきくのを、さすがは支那人の血をうけた詩人は違つたものだ位にしか思つてゐなかつたのである。そのやうな私ではあり、またいくら蘭人壯圖の址と言つたところで、その古を偲ぶよすがになるやうなものとても見當らないのだから一向仕方がなかつたけれども、それでもその丘の眺望そのものは人の情感を唆らずにはゐないものであつた。單に景色としてみても私はあれほど荒涼たる自然がさう澤山あらうとは思はない。私にもし、エドガア·アラン·ポオの筆力があつたとしたら、私は恐らく、この景を描き出して、彼の「アツシヤ家の崩壞」の冒頭に對抗することが出來るだらうに。
私の目の前に展がつたのは一面の泥の海であつた。黄ばんだ褐色をして、それがしかもせせつこましい波の穗を無數にあとからあとからと飜して來る、十重二十重といふ言葉はあるが、あのやうに重ねがさねに打ち返す浪を描く言葉は我々の語彙にはないであらう。その浪は水平線までつづいて、それがみな一樣に我々の立つてゐる方向へ押寄せて來るのである。昔は赤嵌城の眞下まで海であつたといふが、今はこの丘からまだ二三丁も海濱がある。その遠さの爲めに浪の音も聞えない程である。それほどに安平の外港も埋まつてしまつたけれども、しかしその無限に重なりつづく濁浪は生温い風と極度の遠淺の砂とに煽られて、今にも丘の脚下まで押寄せて來るやうに感ぜられる。その濁り切つた浪の面には、熱帶の正午に近い太陽さへ、その光を反射させることが出來ないと見える。光のないこの奇怪な海——といふよりも水の枯野原の眞中に、無邊際に重りつづく浪と間斷なく鬪ひながら一葉の舢舨が、何を目的にか、ひたすらに沖へ沖へと急いでゐる。
白く灼けた眞晝の下。光を全く吸ひ込んでしまつてゐる海。水平線まで重なり重なる小さな浪頭。洪水を思はせるその色。飜翻と漂うてゐる小舟。激しい活動的な景色のなかに闃として何の物音もひびかない。時折にマラリヤ患者の息吹のやうに蒸れたのろい微風が動いて來る。それらすべてが一種內面的な風景を形成して、象徴めいて、惡夢のやうな不氣味さをさへ私に與へたのである。いや、形容だけではない、この景色に接してから後、私は亂醉の後の日などに、ここによく似た殺風景な海濱を惡夢に見て怯かされたことが二三度もあつた。——このやうな海を私がしばらく見入つてゐる間、世外民もまた私と同じやうな感銘を持つたかも知れない、——このよく喋る男もたうとう押默つてしまつてゐた。私は目を低く垂れて思はず溜息を洩した。尤も、多少は感慨のせいであつたかも知れないが、大部分は炎天の暑さに喘いだのである。今更だが、かういふ暑さは蝙蝠傘などのかげで防げるものではない。
「ウ、ウ、ウ、ウ——」
不意に微かに、たとへばこの景色全體が呻くやうな音が響き渡つた、見ると、水平線の上に一隻の蒸氣船が黑く小さく、その煙筒や檣などが僅に鮮かに見える程の遠さに浮んでゐた。沿岸航路の船らしい。さうしてさつきから浪に搖れてゐる舢舨はそれの艀で、間もなく本船の來ることを豫想して急いでゐたものらしい。
「あの蒸氣はどこへ着くのだい」
私が世外民に尋ねると、我々の案內について來たトロツコ運搬夫が代つて答へをした——
「もう着いてゐる。今の汽笛は着いた合圖です」
「あそこへか。——あんな遠くへか」
「さうです。あれより內へは來ません」
私はもう一ぺん沖の方を念の爲めに見てから呟いた——「フム、これが港か!」
「さうだ!」世外民は私の聲に應じた、「港だ。昔は、昔は臺灣第一の港だ!」
「昔は······」私も思はず無意味に繰返した。それが多少感動的でいやだつたと氣がついた時、私は輕く虛無的に言ひ直した、「昔は········か」
丘を下りて我々の出たところは、もと來た路ではなかつた。ここは比較的舊い町筋であると見えて、一たいが古びてゐた。あたりの支那風の家屋はみんな貧しい漁夫などのものと見えて、あのベランダのある二階建の堂々たる空屋にくらべるまでもなく、小さくて哀れであつた。さうしてもともと所謂鯤身たる出島の一つであつたと見えて、地質も自から變つてゐた。砂ではなくもつと輕い、步く度に足もとからひどい塵が舞ひ立つ白茶けた土であつた。但、來たときと一向變らない事は、そのあたりで私は全く人間のかげを見かけなかつた事である。通筋の家々は必ずしも皆空屋でもないであらうのに、どこの門口にも出入する人はなく、また話聲さへ洩れなかつた。私たちが町を一巡した間に逢つた人間といふのはただあの廢屋のベランダにゐた老漁夫と小兒とだけである。行人に出逢ふやうなことなどは一度もなかつた。深夜の街とてもこれほどに人氣が絕えてゐることはないと言ひたい。しかも眩しい太陽が照りつけてゐるのだから、さびしさは一種別樣の深さを帶びてゐた。我々は默々と步いた。不意にあたりの家竝のどこかから、日ざかりのつれづれを慰めようとでもいふのか、絃と呼ばれてゐる胡弓をならし出した者があつた。