煙は旺んにして火は遂に熾えたり、剣は抜かれて血は既に流されたり。燕王は堂々として旗を進め馬を出しぬ。天子の正朔を奉ぜず、敢て建文の年号を去って、洪武三十二年と称し、道衍を帷幄の謀師とし、金忠を紀善として機密に参ぜしめ、張玉、朱能、丘福を都指揮僉事とし、張昺部下にして内通せる李友直を布政司参議と為し、乃ち令を下して諭して曰く、予は太祖高皇帝の子なり、今奸臣の為に謀害せらる。祖訓に云わく、朝に正臣無く、内に奸逆あれば、必ず兵を挙げて誅討し、以て君側の悪を清めよと。こゝに爾将士を率いて之を誅せんとす。罪人既に得ば、周公の成王を輔くるに法とらん。爾等それ予が心を体せよと。一面には是の如くに将士に宣言し、又一面には書を帝に上りて曰く、皇考太祖高皇帝、百戦して天下を定め、帝業を成し、之を万世に伝えんとして、諸子を封建したまい、宗社を鞏固にして、盤石の計を為したまえり。然るに奸臣斉泰黄子澄、禍心を包蔵し、橚、榑、栢、桂、楩の五弟、数年ならずして、並びに削奪せられぬ、栢や尤憫むべし、闔室みずから焚く、聖仁上に在り、胡ぞ寧ぞ此に忍ばん。蓋陛下の心に非ず、実に奸臣の為す所ならん。心尚未だ足らずとし、又以て臣に加う。臣藩を燕に守ること二十余年、寅み畏れて小心にし、法を奉じ分に循う。誠に君臣の大分、骨肉の至親なるを以て、恒に思いて慎を加う。而るに奸臣跋扈し、禍を無辜に加え、臣が事を奏するの人を執えて、箠楚刺縶し、備さに苦毒を極め、迫りて臣不軌を謀ると言わしめ、遂に宋忠、謝貴、張昺等を北平城の内外に分ち、甲馬は街衢に馳突し、鉦鼓は遠邇に喧鞠し、臣が府を囲み守る。已にして護衛の人、貴昺を執え、始めて奸臣欺詐の謀を知りぬ。窃に念うに臣の孝康皇帝に於けるは、同父母兄弟なり、今陛下に事うるは天に事うるが如きなり。譬えば大樹を伐るに、先ず附枝を剪るが如し、親藩既に滅びなば、朝廷孤立し、奸臣志を得んには、社稷危からん。臣伏して祖訓を覩るに云えることあり、朝に正臣無く、内に奸悪あらば、則ち親王兵を訓して命を待ち、天子密かに諸王に詔し、鎮兵を統領して之を討平せしむと。臣謹んで俯伏して命を俟つ、と言辞を飾り、情理を綺えてぞ奏しける。道衍少きより学を好み詩を工にし、高啓と友とし善く、宋濂にも推奨され、逃虚子集十巻を世に留めしほどの文才あるものなれば、道衍や筆を執りけん、或は又金忠の輩や詞を綴りけん、いずれにせよ、柔を外にして剛を懐き、己を護りて人を責むる、いと力ある文字なり。卒然として此書のみを読めば、王に理ありて帝に理なく、帝に情無くして王に情あるが如く、祖霊も民意も、帝を去り王に就く可きを覚ゆ。されども擅に謝張を殺し、妄に年号を去る、何ぞ法を奉ずると云わんや。後苑に軍器を作り、密室に機謀を錬る、これ分に循うにあらず。君側の奸を掃わんとすと云うと雖も、詔無くして兵を起し、威を恣にして地を掠む。其辞は則ち可なるも、其実は則ち非なり。飜って思うに斉泰黄子澄の輩の、必ず諸王を削奪せんとするも、亦理に於て欠け、情に於て薄し。夫れ諸王を重封せるは、太祖の意に出づ。諸王未だ必ずしも反せざるに、先ず諸王を削奪せんとするの意を懐いて諸王に臨むは、上は太祖の意を壊り、下は宗室の親を破るなり。三年父の志を改めざるは、孝というべし。太祖崩じて、抔土未だ乾かず、直に其意を破り、諸王を削奪せんとするは、是れ理に於て欠け情に於て薄きものにあらずして何ぞや。斉黄の輩の為さんとするところ是の如くなれば、燕王等手を袖にし息を屏くるも亦削奪罪責を免かれざらんとす。太祖の血を承けて、英雄傑特の気象あるもの、いずくんぞ俛首して寃に服するに忍びんや。瓜を投じて怒罵するの語、其中に機関ありと雖も、又尽く偽詐のみならず、本より真情の人に逼るに足るものあるなり。畢竟両者各理あり、各非理ありて、争鬩則ち起り、各情なく、各真情ありて、戦闘則ち生ぜるもの、今に於て誰か能く其の是非を判せんや。高巍の説は、敦厚悦ぶ可しと雖も、時既に晩く、卓敬の言は、明徹用いるに足ると雖も、勢回し難く、朝旨の酷責すると、燕師の暴起すると、実に互に已む能わざるものありしなり。是れ所謂数なるものか、非耶。
燕王の兵を起したる建文元年七月より、恵帝の国を遜りたる建文四年六月までは、烽烟剣光の史にして、今一々之を記するに懶し。其詳を知らんとするものは、明史及び明朝紀事本末等に就きて考うべし。今たゞ其概略と燕王恵帝の性格風丰を知る可きものとを記せん。燕王もと智勇天縦、且夙に征戦に習う。洪武二十三年、太祖の命を奉じ、諸王と共に元族を漠北に征す。秦王晋王は怯にして敢て進まず、王将軍傅友徳等を率いて北出し、迤都山に至り、其将乃児不花を擒にして還る。太祖大に喜び、此より後屡諸将を帥いて出征せしむるに、毎次功ありて、威名大に振う。王既に兵を知り戦に慣る。加うるに道衍ありて、機密に参し、張玉、朱能、丘福ありて爪牙と為る。丘福は謀画の才張玉に及ばずと雖も、樸直猛勇、深く敵陣に入りて敢戦死闘し、戦終って功を献ずるや必ず人に後る。古の大樹将軍の風あり。燕王をして、丘将軍の功は我之を知る、と歎美せしむるに至る。故に王の功臣を賞するに及びて、福其首たり、淇国公に封ぜらる。其他将士の鷙悍驁雄の者も、亦甚だ少からず。燕王の大事を挙ぐるも、蓋し胸算あるなり。燕王の張昺謝貴を斬って反を敢てするや、郭資を留めて北平を守らしめ、直に師を出して通州を取り、先ず薊州を定めずんば、後顧の患あらんと云える張玉の言を用い、玉をして之を略せしめ、次で夜襲して遵化を降す。此皆開平の東北の地なり。時に余瑱居庸関を守る。王曰く、居庸は険隘にして、北平の咽喉也、敵此に拠るは、是れ我が背を拊つなり、急に取らざる可からずと。乃ち徐安、鐘祥等をして瑱を撃って、懐来に走らしむ。宗忠懐来に在り 兵三万と号す。諸将之を撃つを難んず。王曰く、彼衆く、我寡し、然れども彼新に集まる、其心未だ一ならず、之を撃たば必らず破れんと。精兵八千を率い、甲を捲き道を倍して進み、遂に戦って克ち、忠と瑱とを獲て之を斬る。こゝに於て諸州燕に降る者多く、永平、欒州また燕に帰す。大寧の都指揮卜万、松亭関を出で、沙河に駐まり、遵化を攻めんとす。兵十万と号し、勢やゝ振う。燕王反間を放ち、万の部将陳亨、劉貞をして万を縛し獄に下さしむ。
帝黄子澄の言を用い、長興侯耿炳文を大将軍とし、李堅、寧忠を副えて北伐せしめ、又安陸侯呉傑、江陰侯呉高、都督都指揮盛庸、潘忠、楊松、顧成、徐凱、李文、陳暉、平安等に命じ、諸道並び進みて、直に北平を擣かしむ。時に帝諸将士を誡めたまわく、昔蕭繹、兵を挙げて京に入らんとす、而も其下に令して曰く、一門の内自ら兵威を極むるは、不祥の極なりと。今爾将士、燕王と対塁するも、務めて此意を体して、朕をして叔父を殺すの名あらしむるなかれと。(蕭繹は梁の孝元皇帝なり。今梁書を按ずるに、此事を載せず。蓋し元帝兵を挙げて賊を誅し京に入らんことを図る。時に河東王誉、帝に従わず、却って帝の子方等を殺す。帝鮑泉を遣りて之を討たしめ、又王僧弁をして代って将たらしむ。帝は高祖武帝の第七子にして、誉は武帝の長子にして文選の撰者たる昭明太子統の第二子なり。一門の語、誉を征するの時に当りて発するか。)建文帝の仁柔の性、宋襄に近きものありというべし。それ燕王は叔父たりと雖も、既に爵を削られて庶人たり、庶人にして兇器を弄し王師に抗す、其罪本より誅戮に当る。然るに是の如きの令を出征の将士に下す。これ適以て軍旅の鋭を殺ぎ、貔貅の胆を小にするに過ぎざるのみ、智なりという可からず。燕王と戦うに及びて、官軍時に或は勝つあるも、此令あるを以て、飛箭長槍、燕王を殪すに至らず。然りと雖も、小人の過や刻薄、長者の過や寛厚、帝の過を観て帝の人となりを知るべし。
八月耿炳文等兵三十万を率いて真定に至り、徐凱は兵十万を率いて河間に駐まる。炳文は老将にして、太祖創業の功臣なり。かつて張士誠に当りて、長興を守ること十年、大小数十戦、戦って勝たざる無く、終に士誠をして志を逞しくする能わざらしめしを以て、太祖の功臣を榜列するや、炳文を以て大将軍徐達に付して一等となす。後又、北は塞を出でゝ元の遺族を破り、南は雲南を征して蛮を平らげ、或は陝西に、或は蜀に、旗幟の向う所、毎に功を成す。特に洪武の末に至っては、元勲宿将多く凋落せるを以て、炳文は朝廷の重んずるところたり。今大兵を率いて北伐す、時に年六十五。樹老いて材愈堅く、将老いて軍益々固し。然れども不幸にして先鋒楊松、燕王の為に不意を襲われて雄県に死し、潘忠到り援わんとして月漾橋の伏兵に執えられ、部将張保敵に降りて其の利用するところとなり、遂に滹沱河の北岸に於て、燕王及び張玉、朱能、譚淵、馬雲等の為に大に敗れて、李堅、寗忠、顧成、劉燧を失うに至れり。ただ炳文の陣に熟せる、大敗して而も潰えず、真定城に入りて門を闔じて堅く守る。燕兵勝に乗じて城を囲む三日、下す能わず。燕王も炳文が老将にして破り易からざるを知り、囲を解いて還る。
炳文の一敗は猶復すべし、帝炳文の敗を聞いて怒りて用いず、黄子澄の言によりて、李景隆を大将軍とし、斧鉞を賜わって炳文に代らしめたもうに至って、大事ほとんど去りぬ。景隆は紈袴の子弟、趙括の流なればなり。趙括を挙げて廉頗に代う。建文帝の位を保つ能わざる、兵戦上には実に此に本づく。炳文の子璿は、帝の父懿文太子の長女江都公主を妻とす、璿父の復用いられざるを憤ること甚しかりしという。又璿の弟瓛、遼東の鎮守呉高、都指揮使楊文と与に兵を率いて永平を囲み、東より北平を動かさんとしたりという。二子の護国の意の誠なるも知るべし。それ勝敗は兵家の常なり。蘇東坡が所謂善く奕する者も日に勝って日に敗るゝものなり。然るに一敗の故を以て、老将を退け、驕児を挙ぐ。燕王手を拍って笑って、李九江は膏梁の豎子のみ、未だ嘗て兵に習い陣を見ず、輙ち予うるに五十万の衆を以てす、是自ら之を坑にする也、と云えるもの、酷語といえども当らずんばあらず。炳文を召して回らしめたる、まことに歎ずべし。