主人「ウム、それなれば何故、最初己が尋ねた時に爾う云わぬのじゃ」
勝「ヘイ、何うもそれがあわてちまいましたもんだから、誠に何うも面目次第もない訳で」
主人「吉原へ行ったと云うのか」
勝「ヘイ」
主人「宵から行ったか」
勝「ヘイ」
主人「それじゃア、まだ貴様欺されて居るのじゃ、吉原の引と云うのは十二時であろう」
勝「左様、一時から二時ぐらいが大引なんで」
主人「其の時に貴様を寝こかして置いて、自分は用達に行くとか何とか云って、スーッと腕車に乗って来て夜明まで十分若に逢って帰れるじゃアないか、貴様は伊之助に寝こかしにされたことを知らぬか」
勝「エ、寝こかし、成程、アン畜生」
主人「吉原と根岸では道程も僅だろう」
勝「左様、何うもあの野郎、太え畜生だ、今直に腕をおっぺしょって来ます」
又出かけて来た。
勝「師匠、在宅か」
伊「先刻の事は冗談でしたろう」
勝「ナニ冗談も糞もあるもんか、え、おい、お前吉原から根岸まで道程は僅だぜ、何でえ、白ばっくれやアがって、人を寝こかしに仕やアがって、行きやアがったんだろう、枕許へ来てお寝みなせえとか何とか云やアがって」
伊「ウフヽヽ寝こかしにも何にも極りを云って居らっしゃる、昨夜は些とも寝やアしないじゃありませんか、あなたが皺枯声で一中節を唸って、衣洗から、童子対面までやった時には、皆が欠伸をしましたよ、本当に可愛そうに、酷いじゃアありませぬか」
勝「ウム成程、寝ねえナ」
伊「それから夜が明けると朝湯に這入って腕車で宅へ帰る間もなくお前さんが来たんですよ」
勝「成程、何を云やアがるんだ、あん畜生、ま師匠、堪忍して呉んな、己ア一寸行って来らア」
又慌てゝやって来た。
勝「ヘイ先生行って来ました」
主人「何うした」
勝「何うにも斯うにも、何うあっても昨夜は来ねえてんです、彼奴も私も昨夜は些とも寝ねえんですもの、ガラリ夜が明ける、家へ帰るとお人だから、直に来やしたんで」
主人「エー、徹夜をした、ウヽム、私も老眼ゆえ見損いと云うこともあり、又世間には肖た者もないと限らねえ、見違いかも知れぬから、今夜貴様私の許へ泊って、若に内証で、様子を見て呉れぬか」
勝「じゃアそう為ましょう」
と其の夜は根岸の家へ泊込み、酒肴で御馳走になり大酩酊をいたして褥に就くが早いかグウクウと高鼾で寝込んで了いました。夜は深々と更渡り、八ツの鐘がボーンと響く途端に、主人が勝五郎を揺起しました。
主人「オイ、勝五郎/\」
勝「ヘイ、ハアー、ヘイ/\、アー、お早う」
主人「まだ夜半だヨ、サ此方へ来なさい」
と廊下づたいに参り、襖の建附へ小柄を入れて、ギュッと逆に捻ると、建具屋さんが上手であったものと見えて、すうと開いた。
主人「サあれだ」
勝「ヘイ」
と睡い目をこすりながら勝五郎は覗いて見ますと、火鉢を中に差向に坐って居るは伊之助に相違ないから、
勝「アヽ何うも誠に済みませぬ、慥に伊之の野郎に違えごぜえませぬ」
主人「それ見ろ、然るに何で昨夜は来る筈がないと申した」
勝「イエ、昨夜は何うしても来る訳がごぜえませんので」
主人「今夜のは確に伊之助に相違ないナ」
勝「ヘイ、伊之の野郎で」
主人「それが間違うと大事になるぞよ」
勝「イエ、何様な事があっても、よ宜しゅうごぜえます」
主人「ウム宜し」
ソッと抜足をして自分の居間へ戻り、六連発銃を持来り、襖の間から斯う狙いを附けたから勝五郎は恟りして、
勝「まゝ先生乱暴な事をなすっちゃアいけませぬ、伊之の野郎は打殺しても構やアしませぬが、もしもお嬢さんにお怪我でもありましては済みませぬから」
主人「イヽヤ気遣いない」
伯父の高根の晋齋は、片手に六連発銃を持ち襖の間から狙いを定め、カチリと弾金を引く途端、ドーンと弾丸がはじき出る、キャー、ウーンと娘は気絶をした様子。
晋「ソレ若が気絶をした、早く/\」
此の物音に駭いて、門弟衆がドヤ/\と来り、
○「先生何事でござります、狼藉者でも乱入致しましたか」
晋「コレ/\静にいたせ/\、兎も角早う若を次の間へ連れて行き、介抱いたして遣わせ」
是から灯火を点けて見ると恟りしました。其処に倒れて居たのは幾百年と星霜を経ましたる古狸であった。お若が伊之助を恋しい恋しいと慕うて居た情を悟り、古狸が伊之助の姿に化けお若を誑かしたものと見えまする。併し斯ような事が世間へ知れてはならぬとあって、庭の小高い処へ狸の死骸を埋めて了ったという。さりながら娘お若が懐妊して居る様子であるから、
晋「アヽとんだ事になった、畜生の胤を宿すなんテ」
と心配をして居るうちに、十月経っても産気附かず、十二ヶ月目に生れましたのが、珠のような男の児、続いて後から女の児が生れました。其の後悪因縁の夤わる処か、同胞にて夫婦になるという、根岸の因果塚のお物語でござりまする。
二
何事も究理のつんで居ります明治の今日、離魂病なんかてえ病気があるもんか、篦棒くせえこたア言わねえもんだ、大方支那の小説でも拾読しアがッて、高慢らしい顔しアがるんだろう、と仰しゃるお客様もありましょうが、中々もって左様いうわけではございません。早い譬えが幽霊でございます、私などが考えましても何うしても有るべき道理がないと存じます。先ず当今のところでは誰方でも之には御賛成遊ばすだろうと存じますが、扨てこゝでございます、お客様方も御承知で居らせられる幽霊博士……では恐れ入りまするが、あの井上圓了先生でございます。この先生の仰しゃるには幽霊というものは必ず無い物でない、世の中には理外に理のあるもので、それを研究するのが哲学の蘊奥だとやら申されますそうでございます、そうして見ると離魂病と申し人間の身体が二個になって、そして別々に思い/\の事が出来るというような不思議な病気も一概にないとは申されません、斯ういう誠に便利な病気には私どもは是非一度罹りとうございます、まア考えて御覧遊ばせ、一人の私が遊んで居りまして、もう一人の私がせッせと稼いで居りますれば、まア米櫃の心配はないようなもので、誠に結構な訳なんですが、何うも左様は問屋で卸してはくれず致し方がございません。
さてお若でございますが、恋こがれている伊之助が尋ねて来たので、伯父晋齋の目を掠め危うい逢瀬に密会を遂げ、懐妊までした男は真実の伊之助でなく、見るも怖しき狸でありましたから、身の淫奔を悔いて唯々歎きに月日を送り、十二ヶ月目で産みおとしたは世間でいう畜生腹。男と女の双児でございますので、いよ/\其の身の因果と諦め、浮世のことはプッヽリ思い切って仕舞いました。伯父もお若の様子を見て可愛そうでなりませんが、何うも仕様がないので困り切って居ります。何ぼ狸の胤だからッて人間に生れて来た二人に名を付けずにも置かれぬから、男は伊之吉女はお米と名を付ける事になりました。茲に一つ不思議なことには伊之吉お米で、双児というものは身体の好格から顔立までが似ているものだそうで、他人の空似とか申して能く似ているものを見ると、あゝ彼の人は双児のようだと申しますから、真物の双児は似る筈ではございますが、男と女のお印が違っているばかり、一寸見ると何方が何方かさっぱり分りかねるくらい、瓜二つとは斯ういうのを云うだろうと思われ、其の上両児とも左の眼尻にぽッつり黒痣が寸分違わぬ所にあります。これが泣き黒痣という奴で、この黒痣があるものは何うも末が好くないと仰しゃる方もあり、親が子の行末を案じるは人情左様ありそうな事で、お若はそんなこんなで大層両児を可愛がりますから、伯父の晋齋はます/\心を痛め、或日お若が前に来て、
晋「赤児は何うしたね」
若「はい、今すや/\寝つきましたよ、伯父さん本当に妙ですことねえ、この児達は、泣き出すと両児一緒に泣きますし、また斯うやって寝るときもおんなしように寝るんですもの、双児てえものア斯ういうもんでしょうか、私ゃ不思議でならないんですわ」
晋「そうさな、己も双児を手にかけたこともなし、人から聞いたこともないから知らないよハヽヽヽヽ、赤児が寝ているこそ丁度幸いだ、今日はお前に些と相談することがあるがの、それも外のことじゃアない矢ッ張赤児の事に就てな、此様事を云ったら己を薄情なものと思うだろうが、決して悪くとられちゃア困るよ、それもこれもお前の為を思うから云うのだからね」
若「ハイ、何うしまして飛でもない心得違いから、いろ/\伯父様に御苦労をかけ、ほんとに申し訳がないんですわ、それに私の為を思って仰しゃることを何でまア悪く思うなんッて」
晋「イヤお前が左様思ってゝ呉れゝば己も安心というものだがの、斯う云ったら心持が悪かろうが、その赤児だッて……、あの通りな訳で生れたもので見れば、何うもお前の手で育てさせては為になるまいし、今一時は可愛そうな気もしようが、却って他人の手に育つが子供等の為にもなろうと思われるよ、仮令何様訳で出来たからってお前の子に違いないものだから、手放して他人に遣るは人情として仕悪かろう、それは己も能く察してはいるが……、此の子供等が独り遊びでもするようになって見な、直ぐ世間の人に後指さゝれて何と云われるだろうか、其の時のお前が心持は何うだろう、お前ばかりじゃないよ、お父様お母様をはじめ縁に繋がるこの己までが世間の口にかゝらんけりゃならんのだ、さア其の苦みをするよりは今のうち……な、それにお前とて若い身そら、是なり朽ちて仕舞うにも及ばない、江戸は広いところだから、今度の噂も知らないものが九分九厘あるよ、ナニ決して心配する事はないからね」
と晋齋がシンミリとした意見に、お若は我身に過りのあることですから、何とも返答することが出来ません。只ジッと差し俯伏いて思案にくれて居ります。伯父の晋齋はお若が挨拶をしないのは不得心であるのか知らんと思われる処から、